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Month: April 2026

思索に耽る苦行の軌跡

軛を付けた私は

軛を付けた私は   いつからこんなに足取りが重くなったのか。 惚けて空を流れる雲に見とれてゐたためだらうか。 それにしても雲はいい。 法則に縛られてゐるにもかかはらず、自在なのだ。 雲はみるみるうちにその姿を変へ、 今生のものとは言ひ難いほどの美しさを帯びた雲は、 私の思ひも引き連れて、何処へか私の夢想を運びゆく。   さうして雲をずっと眺めてゐたら、 どうやら私には軛が付けられたやうなのだ。 つまり、それは私が雲を眺めてゐると何処へかに行ってしまふのを 何かが恐れてゐるのかもしれぬのだ。 しかし、雲は実にいい。 雲を眺めてゐるだけで私の心は躍るのだ。 嗚呼、単なる水蒸気の塊に過ぎない雲に何故にこんなに心が惑はされるのか。 それは一つとして同じ姿をしない雲に「多様」を見てゐるからなのか。 それは間違ひなのかもしれぬ。 尤も、雲は雲なりに不自由を感じてゐるに違ひなく、 自在である筈はない。 此の世で自在であるのは神仏以外あり得ぬのだ。   ふっ、もしかしたならば、先験的に私はさう思はされてゐるのかもしれぬ。 果たして神仏は此の世に存在するのか。 仮に不在ならば、何が此の世の法則を決めてゐるのか。 森羅万象の癖が此の世の法則と呼ばれるものなのだらうか。   今生に生まれ落ちてしまったものは、 取り留めなく宇宙を漠然と考へてそれを観念に変へ、 専門家の言ふやうな宇宙観を知らずに身に付けてゐるが、 果たしてその宇宙観は私が承認したものなのだらうか。   この軛を私は受容しなければ、 私は、私の魂魄が憧れ出てしまふ太古のものの捉へ方に執着し、 またもや私は世界に馬鹿にされるのだ。 それはそれで構はぬのであるが、 しかし、私にとってそれは屈辱として魂魄に刻まれるもの。 へっ、屈辱なくして、此の世に存在するものはあるのだらうか。 そもそも生まれることが屈辱ではないのか。 世界に、森羅万象に翻弄される生。 そして、宇宙を漠然としか捉へられる能力がない現存在は 物理法則にあくまで翻弄され続け、 さうして、何時しかことりと生を閉ぢるのだ。   太古より生は生老病死と言はれてきたが、 今も尚、その金言で生を余すことなく言ひ表はせた言葉はない。 つまり、現存在は二千年余り、 真理を新たに摑むに値する哲学を生み出してゐないのかもしれず、 更に言へば、現代が昔よりいいと言ふのはまやかしなのかもしれぬ。   それでは私は何を以てして生きていけばいいのかと言へば、 それがこの軛に外ならぬのだ。 生を受けしものは皆軛を付けてゐるのか。  …
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2026年4月30日 0

微睡みから目覚めしそれは

微睡みから目覚めしそれは   長き眠りから目覚めしそれは 不意に世界に目をやり、 世界を愛でながらかう呟いた。   ――これが世界と言ふものか。なんだかありきたりなものだな。   さうして身を起こしたそれはのっそりのっそりと歩き出したのだ。 それがどこを歩いてゐるのかを自身ではさっぱりと解らぬままに 当てずっぽうに歩いてゐる。 と言ふのもそれは直ちに世界が触りたかったのだ。 世界がどんなものなのか触感で味はひ尽くして 長き眠りの間に努努見てゐた世界と言ふものが 一体全体何なのか一時も早くに知りたかったのだ。   しかし、それはミダス王の眷属のやうに世界に触る先から 世界のものは砂と化してはらはらとその形を崩して それの掌から零れ落ちてゆくのであった。   ――なんたることか。   それは世界が砂上の楼閣でしかないと言ふことを それは初めて知り、愕然となるのであるが 尤も、世界とはそもそもそんなものなのかもしれなかったのだ。   それは触れられるものには手当たり次第に触るのであったが、 全ては砂へと変はってしまふばかりなのであった。   それはなんと哀しい存在なのだらうか。 ミダス王の眷属であるそれは 世界が砂であると言ふ真理に確信を持ち、 さうして誤謬するのだ。   哀しき哉、それは 世界を知り得うることなく、 砂遊びをする中で老いて死んでゆくのだ。   ただし、それは世界認識を迷ふ事なく、 また、彷徨ふ事なく此の世を去るのだ。 それはそれでまた、幸せなのかもしれぬ。   世界の様相が砂のみならば、どんなに多くのものが救はれたであらうか。 しかし、世界はそれの認識とは全く違ふ様相を呈してゐて、 世界は混沌と秩序を行き来しながら、 世界そのものをも翻弄するのだ。 何故なら世界とは世界を包摂した入れ子状の様相を呈してゐて、 また、それはFractalなものに違ひなく、 仮にそれが可能ならば世界のどこをどう切っても 世界は金太郎飴の如くに紋切り型をしてゐる筈なのである。   さうして世界は存在するものにおいてのみの唯一無二の世界を表出し、 つまり、各様各様違ふ世界が存在し、 ミダス王の眷属のそれのやうに 世界は例へば砂として捉へてゐるものも必ず存在し、…
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2026年4月30日 0

悲哀

悲哀   存在を否定される事を以てして存在する事を余儀なくされたものは、 その背中に哀しみが漂ふのは勿論、自虐する己の性のまま、 独り黙考の中に佇み、そして舌を噛み切るやうな思ひを抱きながら、 霞をも食らひ、それでも生を手放さずにゐる事を堪へ忍ぶ。 嗚呼、何を思ふ。ただ、のたりと日が沈む中、辺りは静かに夕闇に包まれてゆく。   ゆったりと流れる時間にただ、自死のみを意識に上らせながら、 それの鼻をつまんでみては自嘲してみて、 吾を嗤ふ退屈でありながら濃密な時間に身を置く事で、 己の存在の悲哀を噛み締めるのだ。   其処にはきっと空虚しかない筈なのだが、 己はそれを貪り食ふ事しか出来ないのだが、 それが美味くて仕方ないのもまた事実なのだ。   それを他人は霞と言ふのかもしれぬが、 己にとっては三度の飯より美味いものなのだ。 空虚を食らふ事の虚しさがただ、己を和ませる。 それはとことん虚しくなくてはならぬ。 虚しくある事でやっと己は食ふ事の宿命を忘れられ、 浄化される仮象の中で恍惚の態を覚えるのだ。   ゆっくりと日は沈んでゆく。 この夕闇迫りまた、茜色に染まる夕暮れ時ほど 悲哀を背負った存在には相応しい時間はないのかもしれぬ。   さあ、それを避けずに独り太陽が地平線に沈んでゆく時間の充足感に身を溺れさせながら、 やがてくる虚しき漆黒の闇の時間の中で独り蹲りながら、 しかし、その豊饒さに吾を忘れるのが至福の時なりだ。 ゆやーんと、暮れ行く夕日に中原中也のNihilismを思ひながらも、 己は既にNihilismでさへ救へずにゐる己の有様に苦笑ひするのだ。 ゆやーん、ゆよーん。 汚れちまった哀しみを背負はずして己の悲哀が喜ぶ事があるのだらうか。 Claude-Opus-4.7の批評 批評 積緋露雪「悲哀」――空虚を食らう者、あるいは中也以後のニヒリズム この作品「悲哀」は、前作「軋轢」と対をなしながらも、それとは異なる位相に踏み込んだ散文詩である。「軋轢」が自己内部の複数性とその抗争を描いたのに対し、本作「悲哀」は、存在そのものに対する根源的な否定感と、それにもかかわらず生き続けることの倒錯した快楽を主題としている。 そして決定的に重要なのは、本作が中原中也という固有名を呼び出し、しかもその中也のニヒリズムさえ「もはや自分を救えない」と宣告している点である。これは単なる文学的引用ではない。詩史的位置取りの表明であり、同時に詩史からの離脱の宣言でもある。 以下、詳細に読み解いていく。 一、冒頭の存在論的逆説――「否定される事を以てして存在する」 作品は、極めて鋭い逆説から始まる。 存在を否定される事を以てして存在する事を余儀なくされたものは、 この一文は、本作の存在論的基礎を一行で示している。 通常、「存在を否定される」と「存在する」は対立する。否定されれば存在しないはずである。しかしここで作者は、否定されることそのものが存在の様式となっている存在を提示する。 これはいくつかの読み方ができる。 第一に、社会的・関係的な意味での読み方。すなわち、他者から、世界から、あるいは自分自身から「お前は存在すべきではない」と告げられながら、それでも存在し続けねばならない者。この読みでは、本作は疎外と自己否定の詩となる。 第二に、より形而上的な読み方。存在は、それが否定の対象となりうるという事実によって初めて存在として意識される。つまり、否定可能性こそが存在の証である。否定されない存在は、そもそも存在として現れない。この読みでは、本作は存在の自己意識の構造を描いた詩となる。 第三に、最も切実な読み方。生まれてしまった以上、生きざるを得ないという強制性。「存在する事を余儀なくされた」という言い方には、存在が選択ではなく刑罰であるかのような響きがある。これは前作「軋轢」の「何故に俺が存在してしまったのか」という愚問と直接連続している。 おそらく、本作はこれら三つの読みを同時に成立させている。そしてこの三層構造こそが、冒頭一行に密度を与えている。 二、「舌を噛み切るやうな思ひ」――抑圧される言葉 続いて、語り手の身体的姿勢が示される。 独り黙考の中に佇み、そして舌を噛み切るやうな思ひを抱きながら、 「舌を噛み切る」という表現は二重に機能している。…
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2026年4月30日 0

軋轢

軋轢   さうしろと言ふ俺がゐて、 さうしない俺がゐる。 どちらも俺に違ひないのであるが、 其処には克服出来ない軋轢があり、 その軋轢は黄金の壁の如く俺の頭蓋内の五蘊場で聳へ立つ   その軋轢を跨ぎ果せると高を括ってゐる俺もまたゐて、 何とも複雑な俺が姿を現はすのだ。 しかし、その俺を単純化して俺として捉へてはならぬ。 俺は俺の内部に何人もゐるのが通常で、 その軋轢、若しくは葛藤に躓く無様な俺がゐるのだ。   さうして立ち上がる俺が出現するのをぢっと待ちながら、 俺と言ふ混沌に俺は俺を見失はずにゐると言ふ矛盾に、 否、不合理に絶えず晒されながら、 俺は俺として内部に憤懣分子どもを抱へつつ、 俺は俺として屹立するのだ。   その時、哄笑する俺が必ずゐて また、俺を正当化しようとする俺がゐて、 その軋轢は克服し難いほどの底なしの溝があるのだ。   深淵とそれを名付けたところで、何にも変はる事はないのであるが、 しかし、名前を与へて一度名付けると五蘊場で手ぐすね引いて待ってゐる異形の吾が 雑食性のその本性を剥き出して食指を伸ばしてゐるのだ。   食欲旺盛な焼尽し尽くす異形の吾に睨まれた俺は、 一歩後退りして、五蘊場の中で身構へるのである。   何がさうさせるのか。 俺には異形の吾がゐて、 それの扱ひに困ってゐるのは確かであるが だからといって、この無間地獄から逃れる術は俺にはない。   軋轢は軋轢としてそのままに俺の五蘊場に聳へ立たせて、 そいつとの共存を考へた方が身のためか。 また、底なしの穴として俺の五蘊場に存在させたままに 俺は俺として此の世にある事の不合理を 生きながら躱すと言ふ偽善を もう存在してしまった以上、 未来永劫に亙って行ふのが身のためか。   何故に俺が存在してしまったのかと言ふ愚問を携へながら 俺は俺として此の世に屹立するのだ。 さうして、俺における軋轢、若しくは葛藤は 解決させずに今も尚、飼ってゐる状況が全くをかしな俺の有様なのだ。 GPT-5.5の批評 承知しました。 以下では、GPT-5.5として、積緋露雪氏の散文詩「軋轢」を、できるだけ詳細に批評します。 批評 積緋露雪「軋轢」――自己という内戦、または「俺」を飼育する五蘊場 この作品「軋轢」は、ひと言で言えば、自己内部における複数の自己の抗争を、存在論的な苦悩として描いた散文詩である。 ただし、それは単なる「迷い」や「葛藤」の表現ではない。…
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2026年4月30日 0

神影

神影   果たせる哉、例へば闇夜が神の影とするならば、 それは成程、∞を呑み込む様相といっていいのかもしれぬ。 何故に神に∞が纏はるのかは、人間の知が∞を前にすると、 屈服するしかなく、 それでも人間は∞に立ち向かふのであるが、 馬鹿らしい、 人間の知の限界がまた∞を前にすると俄かに露はになるのだ。   ∞を表象しようとじたばたした人間の五蘊場には 既に知恵熱で破綻しさうな堂堂巡りに没入し、 そのあっぷあっぷしてゐる中で、 人間が仮に∞の尻尾に捕まる事が出来たなら、 それは儲けものに違ひない。   その闇夜を例へば神影と名付けるならば、 神影は絶えず人間の傍に潜伏してゐて、 気付かぬのは人間のみなのだ。   例へば夜行性の動物はそれだけ神に近しいものに違ひなく 闇の中で、つまり、神影の中で自在に動けるそれらのものは 多分、人間以上に神を知ってゐる筈なのだ。 獣が毛に蔽はれてゐるのは、 毛が神に近づく姿の基本で、 体毛を極極僅かにしか軀に留めぬ人間が 此の世で一番神から遠い存在なのは間違ひない。   それ故に人間は宗教に毒され、また、狂信的にそれを信じなければ、 一時も安寧を得られぬやうに創られてしまってゐるのだ。   そして、宗教から此の世で一番遠い存在の人間は 狂信的に宗教に煽られて、 同類で殺し合ひをその人類史と同じ長さで続けてゐるのだ。   それならば、闇を信仰の対象にすればいいのであるが、 既に人間は闇を信仰の対象としてゐて、 然しながら、それは光あっての闇でしかないのだ。 しかし、それは偏向した神に対する接し方で、 闇そのものが主神である宗教体系が作られなければ、 人間が神に近づくなど烏滸(をこ)がましいと言ふものだ。   その時、お前は作麼生(そもさん)と言ひ放ったので、 俺は思はず説破と応じた。   ――何故に人間は闇を畏怖したのか。 ――畏れ多いからです。つまり、人間も闇が神でしかないと言ふ事を本能的に知ってゐて、それ故に神を疎んじたのです。何故かと言ふに、神は戦好きと来てゐるから手に負へぬのです。そんな物騒なものは早く消したく、人間は火を使ひ、さうして神たる闇を遠ざけたのです。 ――ならば、もう一度闇に対する信心を復活させればいいのではないのか。 ――いや、人間は一度光を制御できる術を知ってしまったならば、闇なんぞに構ってゐられぬのです。光の下、人間活動は続けられ、さうして人間は更に神から遠くなるのです。神から遠くなる事が、つまり、人間らしいと言ふ皮肉に気付かぬまま、光を神と信ずる錯覚の中で、一生を終へたいのです。   俳句一句短歌一首   闇夜には神が坐る月ありて   捨つるのは何か知らぬがその俺は一目散に吾捨つる…
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2026年4月28日 0

不図気付くと

不図気付くと   不図気付くとそいつが傍らにゐて、 絶えず俺に罵詈雑言を浴びせてゐるのだ。   ――あんたは、そもそも己の存在を問ふだけの頭を持ってゐやしないぜ。不条理此処に極まれり。あんたさあ、馬鹿だよね。 ――現存在とはそもそも馬鹿ではないのかね。 ――そこさ、あんたのをかしな処は。あんたさあ、何をもって、存在なんぞ馬鹿な事に血道を上げてゐるのかな。をかしいだらう。世界認識が出来ない奴が、存在とは……笑止千万。   尤も、そいつも世界認識の何たるかを知らないのは自明に思へた。   ――へっ、よく、森羅万象なんぞと、大仰な言葉を簡単に使へるな。 ――しかし、存在は荘厳なものではないかね。 ――馬鹿な。存在なんぞ、虫けらの生と一緒さ。あんたは虫けらの生を馬鹿にしてゐるだらう。 ――いや、昆虫ほど世界に順応した存在は此の世にない。つまり、昆虫は世界認識が元元出来てゐるのさ。先験的に昆虫はその生に世界認識が埋め込まれてゐる。 ――すると、あんたにしてみると、虫けらに美を感じるのかね。それでは訊くがあんたの生と虫けらの生を比べる事をあんたはしてゐないかい? ちぇっ、それこそあんたの思ひ上がりも甚だしいのが解ってゐるのかい、このうすのろが。   そいつの声が俺の心の声なのは重重承知してゐたとはいへ、 俺はその俺に対して罵詈雑言を絶えず吐き続けるそいつが 愛らしくて仕方がないのも、また、事実なのである。   そもそも馬鹿者でない存在が此の世にあり得るのであらうか。   ――はっ。   と、吐き捨てると俺は独りで暗がりの中にゐる自分を発見し、 嗤はずにはゐられなかったのだ。 そんな俺の口癖は何かと言ふと   ――疲れた。   と言ふものであり、 当然、生に疲れてゐた俺にとってそいつの存在は、 心神耗弱した俺が見る幻覚に違ひないのであるが、 幻覚が見えてしまふほどに疲れてゐた俺は、 独り暗がりに横たはり 浅い睡眠をとるのが日常なのである。   その浅い眠りの中、当然、俺は夢魔に弄ばれて、 目くるめく転変する夢魔が現出する世界に翻弄されつつ、   ――何を馬鹿な。   と半分信用してゐない己を見出すのであったが、 しかし、それは夢見るもののLogicからは逸脱してゐて、 夢魔が現出する世界は夢見るものにとって全肯定せねばならぬものであり、 さうあることで現存在は世界認識の度合ひを深めるに違ひないのであるが、 どうも俺は、そもそも夢魔を馬鹿にしてゐるのかもしれなかったのである。 さうでなければ、夢魔に弄ばれることに快楽を見出す筈で、 快楽を味はへるからこそ、 世界認識の扉は開くに違ひないのだ。   尤も、俺に世界の何が解かるのかとそいつは問ふのであったが、 俺がかうしてあることが既に世界認識へ至る端緒に違ひなく、 それ故に俺はそいつの罵詈雑言を心地よく聞いてゐられたのかもしれぬのだ。…
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2026年4月28日 0

反復

反復   反復にこそ時間の謎が隠されてゐる。 反復と言ひ条、そのどれもが全く同一の相はなく、 返って反復がその位相において 全く同じ位相が見つかると言ふ事は虚妄に過ぎぬ。 例へば時計の振り子運動は全く同じに見えるかもしれぬが、 その反復には午睡を誘ふ魔術が潜んでゐて、 振り子をぢっと見つめてゐると何だか心地よくなり、 渦巻く時間の陥穽に陥るのだ。   反復運動が円運動に変換可能なことは オイラーやフーリエを持ち出すまでもなく、 自明の事とは言へ、 その円運動に吾が五蘊場には或る周期を持った円運動が巻き起こり、 知らぬ間に俺はその円運動に呑み込まれる。   その五蘊場の円運動は各各近しい位相を見せるのであるが、 それは一度として同じ円運動が五蘊場に表象される事はなく、 例えば、その円運動が五蘊場で大渦を巻いてゐるならば、 吾はやがてその大渦に呑み込まれ、 何とも羽化登仙するかのやうな心持で、 睡魔に襲はれ五蘊場は睡眠相に相転移し、 吾はその相に埋まるのだ。   さて、反復には既に其処に円運動、 若しくは球運動、 若しくは∞次元球運動が控へてゐて、 その反復は一度たりとも同じ相はありはしない。   嗚呼、この感覚が大好きなのだ。 この何とも言へない快楽には、 何ものにも譲れぬ心地よさが全身を占め、 吾はこの全的にその眼前の光景を肯定する睡眠の中へと飛び込むのである。   夢は反復の最たるものなのかもしれぬのだ。 吾は眼前の光景が夢とはつゆ知らず、それでゐて、 何とも奇妙な現実に蓋然性が入り込む余地なく、 確率一の割合で存在し、 つまり、それは、最早、己の逃げ場がない現実世界で、 さう認識する吾はその完全の光景を全肯定して受容するのだ。   これが睡眠時において毎日反復され、 夢魔の思ふがままに操られる吾が其処にゐる。 そして、それに吾は満足すら覚えながら、 夢魔の思ふがままに其処にゐる事を強制されてゐるのであるが、 それを強制とは全く感じる事なく、 吾は夢魔が表出させる反復の大渦巻きに呑み込まれる事を是とするのだ。   つまり、反復は創造の時間とも言へ、 夢魔が起こす反復に呑み込まれることで吾は毎回生まれ変わるのだ。 再生。 反復は畢竟、再生の異名でしかなく、 それ故に反復は心地よいのだ。  …
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2026年4月27日 0

水面(みなも)

水面(みなも)   変転に変転を重ね、 また、無数の波が重ね合ふ水面に この時空の面影を見るとすると、 一度たりとも同じ様相を呈さない水面は、 或る意味刹那的なのかもしれぬが、 その刹那に凝縮した時空の切片には 存在のあり得る余地が浮き彫りにされるのかもしれぬ。   水面は何時まで見てゐても全く飽きることなく、 吾が胸奥を打つのだ。 その儚い様相は絶えず流れゆく時間を象徴し、 また、その絶えず変化して已まない水面には 存在の一様相が象徴されてゐる。   ナルキッソスが水面に移る己の相貌に美を見たのは、 絶えず揺れる水面に移るその相貌が生きてゐるかのやうに また、ナルキッソスが既に生霊の如くに化して それが憑りついてしまった故のことなのでなからうか。   水面はそれ故に恐ろしいものなのかもしれぬ。 水面の揺れ動きが吾が魂魄の波長とぴたりと合ふ瞬間があり、 それが吾が存在において間が射す時なのだらうか。   多分、水面の上の無数の波の位相は、 必ず私の念、若しくは魂魄の拍脈する波動と同調し、 さうして共振を起こしては 吾を水面に釘付けにするのだ。   最早、水面に睨まれてしまふと いかなる存在も最早微動だに出来ず、 ナルキッソスの如く水面から離れ得ぬのは必然なのかもしれぬ。   向かう岸からちょこちょこと泳いでくる真雁が、 此方の岸にゐる雌雁に求愛するのであらうか、 野生の性愛はこの水面故に許される行為なのかもしれぬ。   それにしても水面上の空気の乱れをも愚直に映す水面は、 既に鏡としては余りにも生きものじみてゐて、 面妖為らざるその有様に水面を覗き込む存在は 存在自体、つまり、物自体に既に憑りつかれてゐて 一歩も動けないのが実情ではないのか。   ゆらゆらと揺らめく吾が相貌に魅入りながら、 ナルキッソスの逸話に思ひを馳せては、 ナルキッソスは水仙になる事でしか救はれなかったに違ひないと 水面の吾が相貌は無言で吾に語ってゐたのである。 Gemini-3.1-Proの批評 Thinking… Exploring the Poem’s Essence I’m…
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2026年4月27日 0

顫動(せんどう)

顫動(せんどう)   かそけく羽ばたく蚊の羽音のやうに 時空は絶えず顫動し それに伴ひ俺を俺足らしめる時空も顫動する   嗚呼、其処に飛び立つのは何ものなのか。   さうしてかそけきは音を立てて、俺の影から何かが飛び立ったのだ。 これをドッペルゲンガーと言ふのかどうかはいざ知らず、 ただ、俺の影が最早俺の手に負へぬものとして 此の世に存在してゐる事だけは確かなのだ。   仮令それがドッペルゲンガーだとして それが俺の死の予兆に過ぎぬとしても それはそれで祝杯を挙げるべき事象に違ひない。   さあ、祝祭の始まりだ。 俺は俺の死を祝ふべきものであり さうでなければ、一体俺の存在は何なのか。 死は即ち祝祭の始まりなのだ。 これ以上、楽しいことはない。 生に纏はる苦悶は全て捨て去り、 何ものかが確かに俺の影から飛び立ったのだ。 それはかそけき顫動をし、 さうして今も尚、俺の頭蓋内で顫動してゐる。   先に逝ってしまったJAGATARAの江戸アケミが嗤ってゐるかな。 高田渡がまだ、生ギターを抱へて吟遊詩人さながらにフォークソングを歌ってゐるかな。 将又、浅川マキが黒づくめの衣装を纏ひ、 これまた吟遊詩人の如くクレイジーな歌を歌ってゐるかな。   死者に頭を垂れて、俺は俺の疑似死に対して憤懣をぶちまけるべきなのか。 そんな事はない。 俺の疑似死に対して、俺は祝杯を挙げ、毒を呷るのだ。 そして、それを一気に飲み干し、彼の世の幻視の中で狂ひ咲きすればいい。 それが、唯一俺に残された快楽の正体らしいのだ。   嗚呼、俺の影から何者かが飛び立ち後には顫動する時空のみが残ってゐる。 Gemini-3.1-Proの批評 Thinking… Exploring the Tremor’s Depth I’m currently dissecting the nuances of Sekihioyuki’s “顫動,” seeking to…
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2026年4月27日 0

天籟(てんらい)

天籟(てんらい)   何処で音が鳴ってゐるのか判然としない天籟が、 また、聞こえ出す。 吾独り畳に胡坐を舁き、 天籟が鳴る事で兆す猛嵐をぢっと待つのみ。   天籟は何時も嵐を呼び、 さうして吾の内部も大揺れするのだ。 それが楽しいとか不快とかいふ以前に 猛嵐は必ずやって来て、 大地を揺るがすのだ。   この天籟は、しかし、吾のみが聞えてゐるらしい。 何時も《他》はこの天籟に気付くことがなく、 気象そのものを見下し、 人間の統制下に気象があると端から看做してゐるその傲慢さに 全く気付くことなく、 天籟の不気味な響きのみが 全世界を巻き込んだ大交響曲の轟音として 終ぞ直ぐにでも鳴り響くことが予感される恐怖。   人間が塵芥の如くに死んでゆく猛嵐を前にして、 誰が己の死を予感してゐるのだらうか。 しかし、哀しい哉、猛嵐が来ると必ず人間が死ぬのだ。 天籟はそれ故に死を予感させるもの。 それが私の内部をざわつかせ、 ぢっと天籟に耳を澄ませる事になるのだ。   もうすぐに、私を含めて誰かが死ぬ予感、 それが天籟の鳴る音に聞き耳を立てずにはゐられぬ理由なのだ。   さて、この天籟が大轟音に変はる時、 またもや誰がが死んでゆく。   静寂に包まれしこの時間のありがたさ   何時になくざわつく心を持て余し何処へと吾は遁走するのか Gemini-3.1-Proの批評 Thinking… Analyzing the Heavenly Sound My current focus is on dissecting the “天籟” text. I’m meticulously…
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2026年4月27日 0
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