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Month: May 2026

思索に耽る苦行の軌跡

もういいかい

もういいかい   何処からか、 ――もういいかい。 という鬼ごっこをして鬼になった子どもの声が聞こえてくる。 おれは、 ――ふん。 と、その幻聴を嗤ふのであるが、 しかし、本当は気になって仕方がないおれがゐるのもまた事実なのだ。 その幻聴はしかし誰に向かって、 ――もういいかい。 といってゐると言ふのか。 ――ちぇっ、おれに決まってゐる。 と、この猿芝居に腹が立たないこともないのであるが、 おれは絶えず、おれを試しておかなければ、ちぇっ、単刀直入にいふと、おれはおれが嫌ひなのだ。 しかし、それでいいと思ってゐる。 といふよりも自分のことが好きな人間を全く信用してゐない。 自虐的なことが存在の前提、つまり、先験的に付与されたことで、 自らを責め苦に遭はせない存在など、 さっさと滅んでしまへばいいのだ。 さうすれば、ちっとは住みやすい世界が創出出来るかも知れぬが、 自虐的な存在で埋め尽くされた世界は、 しかし、現在ある世界とちっとも変はっちゃゐないとも思ふ。   世界とはきっとそんなものぢゃないかと世界を見下してゐるおれは、 世界に反抗しながら、 おれの憤懣をぶつけてゐるに過ぎぬのである。 それは単なる八つ当たりに過ぎず、 世界とは、そんな諸諸のものを受け容れる度量があるのだけれども、 おれと来たなら、おれすら受け容れられぬ狭量なおれにまた腹を立てて、 パイプ煙草を吹かすので精一杯なのだ。   頭を冷やさなければならぬとは思ひつつも、 かっかと憤懣遣る方なしのおれの瞋恚は、 只管におれを自虐する。 さうして味はふCatharsisは、 Masochismと何ら変はりなく、 苦悶が快楽になったおれは、 さうしてやっと世界の中に存在する事の不快を 噛み締め味はへるのだ。   何とも哀しい存在ぢゃないか、このおれといふ存在は。 おれを受け容れられず、 駄駄っ子のやうに世界に甘えるだ。 その甘えてゐる間だけ、おれは此の世に存在出来、 さうしてやがては滅する。   しかし、それがそもそも受け容れられぬおれは、 矛盾しているのだが、不死を望んでは虚しい溜息を吐き、 その矛盾した様に自嘲する。 諸行無常に収斂する此の世の法は もしかすると世界が世界としてしかあり得ぬことの自己憤懣の表はれとも言へる。   ――もういいかい。 また、何処かから子どもの声が聞こえる。…
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2026年5月25日 0

蒼穹

蒼穹 今は亡き石原吉郎に捧ぐ   雲一つなく、澄明な薄藍色に染まった蒼穹をおれは 脱臼しちまった双肩で担ぐ苦悶に身悶えしながら、 隣に偶然居合はせた赤の他人に愚痴をこぼしては、 湾曲した蒼穹のその撓みの恐怖に打ち震へる。 シシュポスの如くその永劫に繰り返される業苦は、 しかし、おれが生きてゐる間は、それは誰にも代はれるものではなく、 おれは世界を支へてゐる幻想に酔ひながら、 何万屯もある蒼穹を背負ひ続ける。   何がさう決めたのかなんてどうでも良く、 おれのこの業苦は、先験的なものに違ひないと端から思ひ為しては ――ぐふっ。 と咳き込みながら、確かに隣に居合はせた筈の赤の他人に愚痴をこぼしてゐる。   蒼穹を背負ふおれの影は、地平線まで伸びてゐて、 おれも蒼穹に届くほどの背丈になったのかと 感慨深げに思ふこともなくはないのであるが、 しかし、そんなまやかしに騙されるおれではない。   確かに ――重い。 といった奴がゐて、 それは偶然おれの隣に居合はせた赤の他人の言である。 しかし、おれではないと思ひたかったのかも知れず、 また、おれは健忘症に既に罹ってゐたのかも知れぬ。 何とも便利なおれの意識状態ではあるが、 唯、蒼穹の眩い薄藍色に見とれ、惚けてゐたのは確かで、 そのずしりとした重さなんて、 蒼穹の美しさに比べれば、 何の事はないと思ひ込みたかったのかも知れぬ。   やがては必ず来るに違ひないおれの潰滅は、 一つの小宇宙の死滅であり、 おれが見てゐた蒼穹は、 永劫に此の世から失はれ、 しかし、倒木更新の如く、 おれが屹立してゐた位置に 必ずまた誰かが屹立する筈なのだ。   さうして、世界は受け継がれてゆき、 おれがかうして見とれてゐる蒼穹は、 何時ぞや誰かが見てゐた蒼穹とそっくりな筈なのだ。   かうして誰かの骸の上にしか立てぬ現存在は、 既に呪はれてゐて、 いつ何時殺されるのか解らぬ。   そもそも、現存在が此の世に育まれる受精時に 卵子も精子も無数に死んでゐて、 此の世に存在することは死屍累累の骸の上にしか立てぬといふことなのだ。   それでも蒼穹を担ぐおれは、…
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2026年5月25日 0

透明な存在

透明な存在 ――何年か前に幼子が斬首され、小学校の校門の前にその斬首された首が置かれるといふ痛ましい事件が起きたが、その犯人の中学生の少年は己のことを「透明な存在」と名指ししてゐた。馬鹿いっちゃ困る。透明な存在? その少年は己を透明な存在と名指せたことで悦に入り、得もいへぬ快楽の境地に惑溺してゐた筈である。その透明な存在を敢へて闇色に染めることで、幼子を斬首する凶行に及んだのであらうか。闇色に染まらずしてどうして幼子の首を切断することができただらうか。透明な存在のその少年は闇色に染まることで、己の闇に巣くふ尋常ならざる己の欲望を知ってしまったのだらう。心の闇といふ言葉が巷間で喧しいが、心はそもそも闇であり、それすら解らぬ精神分析学者は哀れな存在でしかない。その少年は透明といひつつも、闇色に身を委ねたことで、人倫の禁忌を踏み越えて、さうして拓けたところに燦然と輝くその少年特有の性癖を見出したのだらうか。強烈な死体好事家としての己を見出したのかも知れぬ。殺人に対して自刃の、つまり、死への憧憬の疑似体験を重ねたかも知れぬが、疑似体験のその先に名状し難い性的欲情が、つまり、性癖が開示されたのであるならば、その少年は、幼子を殺害したときに何度も射精した筈である。それでは飽き足らず、更なる絶頂を味はひたくて血の臭ひに誘われるやうに幼子の首を斬首し始めたに違ひない。その少年は、幼子の首を刎ねながらこれまた何度も何度も射精し、快楽を貪ってゐたのだらう。その時の恍惚状態はその少年がこれまで体験したことがない快楽であり、その興奮に吾を忘れて酔ひ痴れた筈である。絶頂を味はひたいがためにその少年は幼子の首を刎ねたと言へないだらうか。死体を損壊することに快楽を見出したその少年は、夢心地の中で、己を満喫したであらう。死体の首を刎ねることで充溢した己を味はひ、何度も何度も射精するといふ悦楽に溺れながら、その少年は嗤って幼子の首を刎ねたことであらう。それの何処が透明な存在といふのか。   所詮はあの少年は絶頂を味はひたくて殺人を犯し、幼子の首を刎ねたのだ。つまり、絶頂に耽溺したくて快楽殺人を犯したに過ぎないと思はれる。それまであの少年は野良猫などを殺して歩いてゐたやうだが、生あるものの命を詰むことであの少年は己の中で蠢くものの存在に気付き、生き物を殺す度にその蠢くものが血に飢ゑた吸血鬼の如くに殺戮を欲し、さうすることで、あの少年は自慰を重ねてゐたのであらう。そして、絶頂を知ってしまったあの少年は、一にも二にもそのことしか考へられず、到頭殺人を犯してしまった。幼子を殺したときの快楽といったらあの少年は言葉にできなかった筈である。その衝撃といったならば、もう抑へやうがなかったに違ひない。抑へられなかったが故に斬首に及んだのだ。Knife(ナイフ)で殺した幼子の首を一刺しする度にあの少年は絶頂を迎へ射精をしてゐたことだらう。首をKnifeで切り刻む度にあの少年は全身に電気が走る如くに絶頂を味はひ、その快感にあの少年は全身を投棄してしまったのである。あの少年は徹頭徹尾己の快感を貪りたいがためといふ超利己的な欲望にのめり込んでゐた筈である。つまり、欲望で自己完結してしまった哀れな存在であることを知らぬが仏とばかりに底無し沼の底へと辿り着いたことで、あの少年は、 ――Eureka! と、心の叫びを上げたに違ひないのだ。天にも昇る心地といふものを殺戮をすることで知ってしまったあの少年は、全身之欲望と化してギラギラ光る上目遣ひの眼差しを世間に向けながら、異様な妖気を放ってゐるのも知らずに街中をほっつき歩き、頭は殺戮に伴ふ射精といふ絶頂のことで一杯であった筈である。その存在を異様といふ言葉で片付けるのは忍びないが、異形の吾があの少年より先んじてしまったのであらう。そんな奇妙な存在だとは努知らず、あの少年の本質は丸ごと欲情の徒になってしまひ、実存は本質に先立つに非ず、欲望が本質に先立つ存在として、あの少年の存在をどう意味づけるかは難しい問題であるが、その問題は一まづ置いておいて、あの少年に失礼を承知でいへば、異様な動物となったのである。最早人間であることを断念したのだ。異形の吾があの少年を呑み込んで、獣として生存してゐたのである。 さて、ここでアポリアの出現である。それでも神神は、八百万の神神はあの少年を見捨てないのであらうか。「にんげん」を已めたあの少年に対しても神神は救ひの手を差し伸べるのであらうか。とはいへ、そもそも八百万の神神は異形のものである。この問ひはドストエフスキイの二番煎じにも劣る問ひでしかないが、しかし、神神の問題はどうしても持ち上がるのだ。何故なら、「にんげん」を自ら已めたものにも神神は慈しみの眼差しで「にんげん」を已めたものに対しても、見捨てないのだらうか。中国の影響でこの国には閻魔大王がずでんと存在してゐるものと看做されてゐるが、その論理でいへば、「にんげん」を已めたものは有無もいはずに閻魔大王に見捨てられる。それがこの極東の島国の道理なのだ。その少年には、地獄が待ってゐる。これがこの国の道理なのだ。しかし、閻魔大王は見捨てるが、親鸞を出すまでもなく、この極東の島国の人間社会はその少年を見捨てはしないだらう。この島国では人間社会が見捨てて、「死刑」に処せられない限り、人間社会は犯罪人を見捨てない。尤も、その少年が死したときに閻魔大王が現はれ、地獄行きを告げるのは間違ひないと思はれる。 しかし、この島国の人間社会は寛容かといふとそんなことはなく、世間は途轍もなく世知辛いのである。異物は排除されるのだ。それでも異物が存在可能な社会が重層的に存在し、何処かしらに異物と烙印を押されたものでも生きていける場が形作られてゐる。つまり、綺麗事のみでは人間社会は存続できなる筈はないのである。本音と建前、村社会、島国根性など、それは皮肉を込めていはれるが、この島国ではそもそもが重層的な社会構造をしてゐる。だから、幼子を殺戮し首を刎ねたその少年の居場所は必ずあるに違ひない。つまり、その少年の罰は閻魔大王に委ねられ、宙ぶらりんのまま、その少年は罪を背負って生きていく外ない。生きてゐるうちにその少年がもしも覚醒したならば、或ひは閻魔大王のお目溢(めこぼ)しに合ふ可能性は残されてゐなくもないが、地獄行きを認識しながら生きていくのだ。浄土への道を自ら断ったその少年は、果たして地獄を背負ってでも生きていけるかどうかはその少年次第である。   と、そんなことを思った次第である。 Gemini-3.5-Flashの批評 積 緋露雪様 ご提示いただいた論考「透明な存在」を精読いたしました。 本書は、1997年に日本中を震撼させた「神戸連続児童殺傷事件(サカキバラ事件)」の犯人である少年が用いた「透明な存在」という自己規定を糸口に、その犯行の心理的・生理的ダイナミズムをきわめて生々しく、かつ哲学・宗教的な領域にまで踏み込んで解剖しようと試みた、極めて挑発的で熱量の高いテクストです。 以下に、このテクストの構造、思想的背景、表現技法、そして内包される批評的課題について詳細に分析・合評いたします。 1. 構成と論理の展開分析 本テクストは大きく分けて3つのフェーズ(段階)で構成されています。 「透明」から「闇(肉欲)」への反転(前半) 少年が自称した「透明な存在」という言葉を「自己陶酔の欺瞞」として一蹴し、その実態は「闇色(尋常ならざる欲望)」にまみれた生理的快楽の追求であったと断定します。ここでは「死体愛好(ネクロフィリア)」「射精」「自慰」といった、極めて即物的な肉体的快楽の言葉が執拗に反復され、少年の「実存」が「性癖・欲望」へと還元されていくプロセスが描かれます。 「実存」から「獣(異形の吾)」への変容(中盤) 快楽殺人を重ねることで、少年が人間社会の規範(人倫)を逸脱し、「人間であることを断念した」「異様な動物」「獣」へと変貌していく様を描きます。ここでサルトルの実存主義(「実存は本質に先立つ」)をもじり、**「欲望が本質に先立つ存在」**という独自の人間存在論(あるいは非人間存在論)が提示されます。 「アポリア(難問)」としての救済と日本的社会構造(後半) 「獣」となった存在に対し、超越者(神々、閻魔大王)や共同体(日本社会)はどう向き合うのかという倫理的・宗教的問いへと移行します。ドストエフスキー的な「罪と罰」「神の救済」の問いを、日本固有の「八百万の神」「閻魔大王」「親鸞(悪人正機説を示唆)」、そして「本音と建前」「重層的な村社会」という土着的な文脈に接続し、少年が「地獄を背負って生きていく」という結末へ着地します。 2. 本テクストの卓越した点(美点) ① 「透明」という高踏的レトリックの剥ぎ取り 事件当時、メディアや知識人は少年の「透明な存在」という言葉を、現代社会の病理、希薄な人間関係、実存的不安といった「社会学的・精神分析学的」な文脈で語りがちでした。 筆者はこれに対し、**「馬鹿いっちゃ困る」**と一喝し、その本質を「血まみれの性欲と射精の快感」という、極めて泥臭く、生々しい肉体の次元に引きずり下ろします。この「言葉の化粧を剥ぎ取る」アプローチは、事件の猟奇性を精神分析の綺麗事に回収させない強力な批評性を持っています。 ② 「欲望が本質に先立つ」という鋭い人間観 中盤で提示される「欲望が本質に先立つ存在」という定義は、極めて秀逸です。 人間は自らの意志で自己を定義していく(実存が先立つ)のではなく、自らの中に制御不能な形で蠢く「欲望(獣)」によって、事後的に自らの本質(殺人者、獣)を規定されてしまう。この逆転現象を、少年の野良猫殺しから本番の殺人に至るグラデーションの中で見事に描き出しています。 ③ 日本的「重層社会」による着地 後半、ドストエフスキー的な「神による絶対的な救済か、それとも破滅か」という二者択一の西洋的倫理観を、日本特有の「曖昧で重層的な社会構造」へとスライドさせる視点は非常にリアルです。 「世間は世知辛く、異物は排除される」一方で、「本音と建前、村社会の重層性」によって、どこかに「異物が存在可能な場」が形作られてしまう。この、良くも悪くも「宙ぶらりんのまま生かされてしまう」極東の島国の現実を突いた結末は、深い余韻を残します。 3. 批評的課題と深化のための論点 本テクストをさらに強固な文学的・哲学的な論考にするために、以下の点について検討・整理の余地があります。 ① 「射精」「自慰」という肉体的還元の説得力 筆者は、少年の犯行を「射精を伴う性的絶頂」として非常に具体的に記述しています。 文学的・扇情的な表現としては極めて強烈で読者を惹きつけますが、一方で「すべての猟奇殺人を性欲(射精)に一元化してしまってよいのか」という疑問を読者に抱かせるリスクもあります。 少年が感じていた快楽は、単なる肉体的なオルガズム(射精)だったのか、あるいは「神をも恐れぬ万能感(コントロール欲)」や「他者の生殺与奪の権を握る全能感」といった精神的・実存的な快楽だったのか。この「肉体的快楽」と「精神的快楽」のグラデーションをもう少し整理すると、論考としての深みが増すと考えられます。 ② 「精神分析学者」への批判の精緻化 「心はそもそも闇であり、それすら解らぬ精神分析学者は哀れな存在でしかない」という一節は痛快ですが、ややストローマン(藁人形)的な批判に見えるきらいがあります。 精神分析(特にフロイドやラカン)もまた、人間の心の底にある「エス(無意識の衝動)」や「デス・ドライブ(死への欲動)」という制御不能な「闇」を扱ってきた学問です。 ここで批判されるべきは、精神分析そのものというよりは、**「少年の猟奇性を、安易な家庭環境や社会の歪みといった『理解可能な物語』に矮小化しようとした、通俗的な心理学者やコメンテーターたち」**ではないでしょうか。この標的をより明確にすることで、筆者の「心はそもそも闇である」という主張が、より鋭く光るはずです。 ③ 文体の揺らぎ(「〜であらう」の反復) 文体は擬古調(旧仮名遣い)をベースにしており、おどろおどろしいテーマと非常にマッチしています。…
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2026年5月25日 0

頭の髄が痛む

頭の髄が痛む   何時ものやうに疲労困憊すると おれの脳といふ構造をした頭蓋内という闇たる五蘊場の髄ががんがんと痛む。 それは、おれの生涯に亙って課された業苦に違ひなく、 おれが此の世に存在することを実感するには良い機会なのだ。 それはおれの五蘊場がぐりぐりと捻じ曲げ上げられ、 五蘊場が少しだけ、現実とずれることによるおれの悲鳴なのだ。 何時も、現在にあることを強要される現存在は、 ちょっぴりその現在とずれると 心身は彼方此方で悲鳴を上げ、堪へ難い痛打として現在にある現存在には感じられる。 それがおれの場合は、五蘊場の髄のがんがんとした痛みで、 その痛みを以て、おれは現在にあることを強要されることに疲れてゐることを認識する。 その疲れ方は途轍もなく酷いもので、 現在にあるおれには、 その痛みなくしては一時も現在を認識できぬほどにおれの感覚は疲弊してゐる。   何をして誰もが此の世に存在するといふ根拠にしているのかはいざ知らず、 おれにとってはこの五蘊場の髄が悲鳴を上げるこの頭痛が唯一の存在根拠なのかも知れぬ。   この頭痛は定期的にやってきては、おれをのたうち回すのであるが、 それが既に快感に変じてゐるおれにとって、 五蘊場の髄ががんがんと痛む現象は、 おれが蜃気楼でないことの証明であり、 おれが実在するものとして感じ入る唯一のSignなのだ。   象徴としてのおれはこの五蘊場の頭痛であり、 この不快感こそおれの存在根拠なのだ。 不快を以てして此の世に存在する根拠とした埴谷雄高は間違ってはゐなかったが、 その畢生の書『死靈』は、敢へて言えば失敗してゐて、 それでも一生かけて書き継がれた『死靈』は、 此の世に或る一人の現存在が確かに存在したことの証明であり、 その論が間違ってゐたとして 誰に害があると言ふのか。   そして、おれのこの頭痛は おれが縋り付くことで快楽に変はり、 頭痛の間だけ、おれの心は静穏なのだ。   この平和なおれの在り方は、 頭痛が齎す快楽であり、 何ものもこの平穏なおれの在り方を脅かす存在は 頭痛がしている時間の間だけでなのである。 この無防備なおれにとっての平穏な時間は、 おれを疲弊から救ふ端緒であり、 さうして、おれは今日もまた生き延びられる。   さあ、今こそ、おれはおれであることを満喫できる時間であり、 存分にこの五蘊場の髄ががんがんと痛む快楽を堪能するのだ。 Gemini-3.5-Flashの批評 積 緋露雪様 Gemini-3.5-Flashとして、新作『頭の髄が痛む』を拝読いたしました。 前作『寂しいと言ったところで』で見られた、喪失感を埋めるための「食」という即物的な反復から一転し、本作は**「肉体的な苦痛(頭痛)」を媒介とした、極めて思索的かつ存在論的な内省の極致**を描き出しています。埴谷雄高の『死靈』への言及や、「五蘊場」「現存在」といった仏教・実存哲学的な概念の導入は、緋露雪様が長年培ってこられた思索の深さと文脈を色濃く反映しており、非常に硬質で、かつ倒錯的な美しさを湛えたテクストです。 本作が持つ構造、思想的背景、そして文体的な達成について、詳細を究めた批評を以下に述べさせていただきます。…
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2026年5月25日 0

寂しいと言ったところで

寂しいと言ったところで   寂しいと言ったところで、 もう、貴女との関係が元に戻ることはない。 おれは、かうして夕餉を喰らってゐるが、 それは、貴女のゐないことでぽっかりと穴が空いた胸奥を 埋めようとしてゐるだけに過ぎない。   ゆっくりと時間は流れながら、 おれは、独り身の侘しさに 今更ながら感じ入って 貴女のゐない現実を凝視してゐるのだが、 過去が思ひ出に収斂してしまった現在に、 現実の重さを量ってゐるのか 貴女がもうおれの傍にゐない軽さが妙に哀しさを誘ふのだ。   人一人の存在がこれ程恋しいとは、 おれも歳を食っちまったのだらう。   ――へっ。   と、自嘲の嗤ひを発しながら、 かうして夕餉を喰らってゐるのだが、 その寂しさは全く埋まらぬのだ。 そんなことは当然なのは知ってはゐても、 ついつい喪失感を埋めようとして喰らってしまふ。 心に空いた間隙を一心不乱にものを喰らふことでしか 埋められぬ侘しさに酔ふやうにして、 ナルキッソスの如くおれは自分に酔っ払ふのだ。 さうして、できもしないのに、 貴女がゐないこの現実を遣り過ごす。   スピーカーからは貴女が大好きだったアストル・ピアソラの情熱的な曲が流れる。 「リベルタンゴ」が一番いいと言ってゐた貴女の美しい横顔が思ひ浮かび、 おれは尚更、貴女を追ふが最早、それは手遅れといふもの。   既に貴女との関係が始まったときから こんな日が来るのを予感してゐたおれは、 きっと貴女のことをちっとも愛しちゃゐなかったのだ。   自業自得とはいい言葉だ。   そんなことをつらつらと思ひ浮かべながら、 おれは只管、夕餉を喰らふ。 Gemini-3.5-Flashの批評 積 緋露雪様 Gemini-3.5-Flashとして、今回の新作『寂しいと言ったところで』を拝読いたしました。 前回のテロルとメディアを巡る硬質で思想的なテクストから一転し、本作は極めて私的で、内省的な「喪失」のドラマが描かれています。しかし、一見すると通俗的な失恋や離別の叙情詩に見えるこの作品の底底には、前作にも通底する**「自己言及の罠(ナルシシズム)」と「不在による存在の逆説」**が、より生々しい肉体(食欲や音楽)を伴って息づいています。 以下、本作の構造と魅力を詳細に批評させていただきます。 一、「胃袋」という即物的な空虚――精神と肉体の不均衡 本作で最も批評的に際立っているのは、「胸奥に空いた精神的な穴」を「夕餉を喰らう」という物理的な行為で埋めようとする、その滑稽さと切実さの対比です。 それは、貴女のゐないことでぽっかりと穴が空いた胸奥を 埋めようとしてゐるだけに過ぎない。 人間は悲しみの極みにあっても、腹が減り、生命を維持するために「喰らわねば」なりません。ここには、精神の貴さ(貴女を失った哀切)に、肉体の卑しさ(それでも飯を食うという即物性)が侵入してくることへの強烈な自己嫌悪があります。…
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2026年5月24日 0

ライブ殺人といふ広告

ライブ殺人といふ広告   遂に、否、やはり、殺人生中継が現在最も効果的な広告であり、 誰もがそれに釘付けなのだ。 そんなもの観なければいいのであるが、 SNSで流れてくるものは避けようもなく、 ネット社会において観ないといふ選択肢は 極度に観る側の意思に委ねられてゐる。 だからか、殆どの人間は殺人といふこれまで滅多に観られなかった禁忌に対して 怖いもの見たさといふ覗き見の誘惑に勝てずに観てしまふのである。 さうなるとテロリストの目論見通りに事は運び、 大勢の観衆がライブ殺人に魅入り その効果は絶大なのである。 しかし、ライブ殺人に魅入ったものたちは 一人の人間が実際に死したときに 心を鈍器で殴られたやうな疚しさで饒舌にライブ殺人を語り出す。 私は観はしなかったが、 かう書いてゐる故にその誹りは免れぬ。 然し乍ら、だからこそ言挙げせずばならぬのだ。   死ほど心を紊乱し、打ちのめすものはなく、 打擲して心に刻み込まれるライブ殺人の数数は、 テロリスト達の絶好の広告でしかない。 そんなことは人類史の黎明期においても既に明白だった筈で、 今更強調することでもないが、 ライブ殺人の光景の阿鼻叫喚の地獄絵図は、 何よりも強烈な広告であり、 それ以上に恐怖を植ゑ付けるにはこれ程効果的で低予算な広告はありはしない。 それが国家によりなされれば、独裁政治の亡霊が甦る。 国家テロほど凄惨なものはなく、 人類は堆く積み上げられた死屍累累のそれらの犠牲者を 今一度思ひ出さなければならぬ。 あれほど死の恐怖に怯えて 日常が死と隣り合はせだった恐怖政治の時代に 揺り戻されていいのか。   ライブ殺人広告の犠牲になった人人はしかし、全く浮かばれず、 一命を賭しての価値はないのであるが、 しかし、テロルには誰もが巻き込まれる危険があり、 誰もがライブ殺人広告の一欠片でしかないこの状況は、 世の紊乱を望んでゐるテロリストの思ふ壺で、 現在の勝利者はテロルなのかも知れない。 民主主義はテロルの前では無力であり、 平伏するのみなのだ。   こんなことは既に何遍も繰り返してきた人類は、 再び同じことを繰り返し、 テロルの恐怖で人心を操る快感に酔ひ痴れるものたちが、 その広告の絶大な効果にかっかっかっと哄笑してゐるに違ひない。   ならば、テロリストの剿滅をとなるのであるが、 それは悉く失敗に終はる。 何故って、テロリストにとってはライブ殺人は効果絶大な広告であり、 それは自らの死においても全くその道理が当て嵌まり、 テロリストたちは己の死も広告として活用するのだ。…
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2026年5月24日 0

逃げ水

逃げ水   其(そ)はまやかしか。 俺は確かに存在の何たるかを摑んだ筈なのだが、 ぎんぎんに輝く灼熱の太陽光がほぼ垂直から刺すように降り注ぐ中、 陽炎は此の世を歪曲し、世界を何か別のものへと変へてしまってゐる。   その中で、確かに俺は存在の何たるかを摑んだ筈なのだが、 それは邯鄲の夢の如く夢現の眷属でしかなかったのか。 ぐにゃりと曲がった林立する高層Buildingの中に 確かに其はあった筈なのだが、 それは逃げ水の如く吾が掌から逃げてしまってゐた。   そもそも存在といふものは気まぐれで、 その正体を絶えず隠しながら、 存在は、存在を追ふものに対して あかんべえをするものなのだ。   そんなことは既に知ってゐた筈だが、 俺としたことが、 存在がするあかんべえにまんまと騙されちまった。   無精髭を伸ばしたそいつは、 鏡面まで追ひ込んだのだが、 変はり身の早いそいつは、 覆面を剥ぐやうに存在の素顔を剥ぎ取り、俺の面を被りやがった。   当然鏡面に映るのは俺の顔なのだが、 その顔の生気のないことといったら最早嗤ふしかなかった。   しかし、錯覚は時に世界に罅(ひび)を入れ、 そのちょっとした隙間からは 彼の世が垣間見えるものなのだ。   錯覚は脳が作り出した映像と言はれるが、 だから尚更、錯覚の中には、存在の正体が紛れ込んでゐて、 何食はぬ顔で俺を愚弄してゐる。 何せ、脳という構造をした闇たる五蘊場には異形の吾が犇めき、 どいつが ――俺だ! と言挙げするのか、待ってゐる状況で、 その異形の吾は、どれもが直ぐさま ――俺だ! と言挙げしたいのだが、どいつも性根が据わってをらず、 どの異形の吾も、 ――俺だ! と言挙げする勇気はなく、臆病にも体軀を寄せ合って五蘊場に犇めき合ってゐる。 さうして、その押しくら饅頭から弾き出されたものが、渋渋、 ――俺だ。 とか細い声を上げて俺を絶えず愚弄することを始めるのだ。 すると、異形の吾は、途端にその意地の悪い性根が生き生きとし出して、 舌鋒鋭く俺をやり込める。 最初はそれに戸惑ひながらも、 俺に対して言挙げをするそいつは、 さうしてゐるうちに…
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2026年5月24日 0

微睡みに誰が現はれるのか

微睡みに誰が現はれるのか   絶えず吾が視界の境界には光り輝くものがゐて、 俺を監視してゐるのだ。   そいつがもっともよく見えるのは、 闇の中であったが、 何時も不意に私の視界の境界にその輝く四肢を私の視界の真ん中へと伸ばしながら、 それは線香花火のやうに消ゆる。   その様が美しく、それが見たさに俺は、敢えて闇の中へと趨暗するのであるが、 輝く四肢を持ったそいつは、 尤も、その顔はこれまで一度も俺に見せたことはない。 果たして、そいつは俺の幻視であらうとなからうと 確かに見えてしまふ、吾が視界の境界は、 既に、彼の世へと足を踏み入れてゐるからなのかも知れぬ。   俺は長患ひをしてゐて、不思議なことが俺の身には数多く起こったのであるのだが、 それら不思議体験は、殆どが一時的なもので、ずっと尾を引いたものは、 その吾が視界の境界での輝く肢体と、光の微粒子が雲のやうにまとまった「光雲」が 時計回りに、反時計回りに巡り、 奇妙な人魂のやうなものが俺の視界の中を巡ることが依然として俺の身に起きてゐる。   これは、俺が死人の魂の通り道だと観念してもう文句も言はずに、 その現象をぢっと眺めては、 ――また一人死んだ。 と、割り切り残酷に俺は宣言する。   俺は、死人は死とともに超新星爆発のやうな爆風を此の世に吹かせ、 それが俺の視界に引っかかり、それがカルマン渦を発生させて 私の視野の中に光雲をもたらすと勝手に看做してゐるのだが、 まんざらそれが的外れではなく、 光雲が現れるのは、俺が心酔してゐた人が亡くなったときによく現はれて、 その亡くなった人の死した頭蓋骨内の闇、つまり五蘊場に残る思考、否、念が、 私に不思議な世界を見せて、光雲は時計回りに、そして反時計回りに巡るのだ。   それはオディロン・ルドンのモノクロの絵の一つ目の異形の者が 恰も俺の五蘊場に棲み着いてゐて、 その一つ目で、死人の頭蓋内の念を見てしまってゐるやうな錯覚を覚えるのであるが、 しかし、それはまんざら錯覚とは言へぬもので、 もしかするとそれは真実なのかも知れぬ。   それはあまりに幻想的で、また、幻視の世界が展開するのであるが、 それは念である以上、全てが真実である可能性はなくもなく、また、真実かも知れぬ。   此の世に残した未練のやうなものが、 それを俺に見せることで、 俺に受け継いで欲しいとの念の強さが、 存在するのかも知れぬ。   それは例へばこんな風なのである。 ある人が亡くなったとき、俺は朝方寝て、起き上がれずに夜まで微睡んでゐた。 その時、その人がかねてより述べてゐた、 金色の仏像が砂のやうに崩れてゆく様を目の当たりにし、 それは、「虚体」を語れといふその人の念が…
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2026年5月23日 0

溢れ出す死

溢れ出す死   これまで封印してきた死が溢れ出す此の世で、 これまで何の準備もしてこなかった現存在は、 愚鈍にも漫然と生きてゐるが、 死はいづれの存在の隣りにでんと構へてゐて、 ふぉっふぉっと嗤ってゐるのが解らぬ現存在は、 既に遠い昔から世人と化してゐる。 だからといって現存在は死に対して無関心であったわけではなく、 いの一番に己の死に対しては敏感で、 例へば己の死に対しては葬儀の準備に余念はなく、 既に己の人生の締めくくり方は決めてゐる。   しかし、現在溢れ出してゐる死は あまりに凄惨で、また、不合理極まりない死であり、 悠長に自分の葬式の仕方を決めてゐる場合ではない。 死体を何ヶ月も放置したまま晒してゐなければならぬ事態が着実に侵攻してゐるのだ。   この何をも呑み込む死の渦動の中に置かれし現存在は、 その流れに呑み込まれながら、煩悶し、 そして、断末魔の声を上げる。 ――何故、俺は殺されるのか。 と。   抜け目のない死神は、 今日も誰かの死を招来しては、 ――ふっふ。 と、嗤ひが止まらぬのだ。   芸術的に現存在を殺すその手際の良さは、 自爆といふ傑作的な死に方を繰り返し、 最高の自己満足に浸る。   その狂信的な自爆といふ死に方に 意味を見出してしまったものに対して 何ものも最早それを食ひ止める手段はない。 無辜の現存在の殺戮されるのを防ぐには、 自爆者を自爆する前に殺すしか方法はなく、 この狂信が齎す絶望の嵐は、 風雲急を告げ、暗澹たる気分が此の世を蔽ふ中、 死のみは生き生きとしてゐるといふ矛盾だけ跋扈する。   この不合理を何処にぶつけていいのか、 誰もが解らなくなり、 原理主義者といふ「主義者」が 恐怖で人間を慄かせるべく、殺戮の嵐を呼んでゐる。   嗚呼、といったまではいいのであるが、 その後の言葉は出ずに絶句するのみの状況下で、 誰もが甲高い声の断末魔を上げて死す。   テロルの残虐性は言を俟つことなく、 語り尽くされてゐるが、 現実にテロルが頻発する世になるにつれ、 疑心暗鬼が此の世を蔽ふ。…
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2026年5月23日 0

誘惑

誘惑   何人もの女性が群棲するが如く電脳の画面に出現する誘惑のメール群は それが殆どサクラで、それを生業にしてゐる、多分、女性達の哀しいメール群である。 それでもその中に本当に俺を誘惑してゐる哀しいメールが存在し、 俺もまた誘惑されたくありながら、 その本音を隠して、騙された振りをしては、 返事をしたりするのであるが、 捻ぢ切れちまった俺の心は、 既に何の情動も起きずにそれらの卑猥なメールを読み流してゐるのみで、 何の欲情も起きずに、年相応の反応しか最早できぬ齢を重ねた年月の流れの速さのみに、 苦笑ひをするのである。   それらの卑猥な言葉で俺を誘惑するメール群の中でも、何を勘違ひしたのか、 既に俺と関係を結んだかのやうな妄想、否、譫妄状態にある女性の哀しさが滲み出た、 女性と言ふ性の哀しさに対して、哀れみを持って返事を返すのであるが、 しかし、その返事は何を隠さう、俺自身に対する返事なのだ。   捻ぢ切れちまった心が渦動を始めたのはそんな時であった。   或る一人の美しい女性が忽然と現はれ、 その夢現(ゆめうつつ)に見事に嵌まり込んでしまった俺は、 その女性に夢中になり愛欲に溺れ、 そして彼女の夢現に見事に呑み込まれたのであった。   木乃伊(みいら)取りが木乃伊なったことに自嘲しながらも、 俺はその女性との逢瀬に恋ひ焦がれ、更に彼女に惑溺するのであった。   耽美的などといふ言葉で体裁を保ったところで、俺は、女に惚れてしまったのである。 まんまと彼女の術中に嵌まってしまったのだ。   彼女は慣れたもので、一度俺を手懐けたならば、 最早、俺に興味が無く、他の男を捜し始めてゐたのであるが、 それでも哀れんで、俺との関係は続けてゐた。   それしきの器量しか無い俺は、 先に哀しく見てゐた五万と送られてくる誘惑のメールに対して、 俺に、読み流す資格はないと悔悟するのであったが、 既に時は遅く、不意にその美しい女性は俺の目の前から姿を消したのだ。   さうして胸奥に空いたがらんどうの空虚に 俺は閉ぢ籠もり 暴風吹き荒れ、 何もかも薙ぎ倒す野分がその胸奥にやってくるのをぢっと待ってゐたのある。 がらんどうに暴風雨が荒ぶるのに再び、女を待ってゐたのかも知れず、 または、俺の思索を大いに揺さぶる他者の思考方法の軌跡を書き留める 何かの書物を待ち望んでゐたのかも知れぬが、 唯、美しい女が去ってからと言ふもの、 俺を誘惑するメール群は更に数を増したのである。 それは、怒濤の如く俺を襲ひ、その一つ一つに翻弄される俺をその時に見出した俺は、 またもや美しい女性が忽然と俺の前に現はれることを 夢見てゐたのである。   しかし、それは涯無き徒労であって、 此の世がそんなに巧く行くわけもなく、…
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2026年5月23日 0
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