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戦(おのの)くのは誰か

漆黒の闇の中にぢっと蹲って息を潜めてゐるそのものは、
妖精の闇の衣を被っては
雲間の曙光のやうに
ぎろりと一つ目の眼(まなこ)のみを光らせて、
外部を窺ってゐる。


しかし、そのものを包むか細い空間は顫動してゐる事により、
そのものはぶるぶると恐怖に震へ、
若しくは、そのものは巨大な巨大な重力を持つ事により
強烈な重力波を発しながら、その存在を暗示させてゐるのか。


いづれにせよ、そのものはぶるぶると震へてゐて
その震へが止まらぬのは確かなのだ。


存在すること自体が震へを伴ふならば、
そのものは、身を隠すのに大きな失態を演じてゐて、
正(まさ)しく頭隠して尻隠さずの典型でしかない。
そのやうな状況でも、身を隠さねばならぬそのものは、
自身に負ひ目を負ってゐるのか、
それとも存在以前の問題なのか。


――馬鹿が。


と不意にそのものは呟いて、己の存在を嘲笑ってゐるのかも知れぬのだ。


その漆黒の闇は、絶えず光を当てられてゐるのであるが、
闇であることを已めず、唯、一つ目の眼のみがぎろりと光ってゐて、
何ものかが存在する事だけは確かなのだ。


すると、はらりと妖精の衣が剥がれ落ちた。
と、その刹那、一つ目の化け物がその姿を現はしたのであるが、
しかし、それを名指して某と断定するにはおれの決定的に語彙は足りない。


そのものはおれに名付けられる事を是とするのか、
闇のマントを纏ひながら
一つ目の偉容な姿をおれの視界の中で屹立させたのだ。


しかし、尚もぶるぶると震へてゐたそのものは、
何かに戦いてゐるとしか見えず、
それは、強ひてはおれの想像力の欠如に違ひない事の証左でしかないのであるが、
ぶるぶると震へてゐる状態を戦くとしか見られぬこの発想力の欠如は
如何ともし難く、確かにそのものは戦いてゐた筈である。


では何故、そのものは戦いてゐたのか。
それは、存在する事その事に戦いてゐたのだ。
と、さう結論づけたいおれは、
おれのおれに対する姿勢をそのものに投影して
そのものの事を理解したふりをするのだ。


何にも解っちゃゐないおれにとって、
そのものが戦く事と理解を強要することでのみ、
おれは落ち着くのかもしれぬ。


それぢゃ、そのものに対しての礼を欠いてゐて、
おれの考へを他に押しつけるのは、
独善的でしかなく、しかし、この状況を何と表現したらいいのか解らぬのだ。


すると、その一つ目のものはぽろぽろと涙を流し、
おれを凝視するのだが、
その事に右往左往するおれは、
とんだお笑ひものなのだ。


しかし、やはり、そのものは戦いてゐたとしかおれには言へず
戦いて妖精の闇の衣のマントに身を隠し、ぢっと蹲りながら、
おれを遣り過ごさうとしてゐたに違ひないとしか思へぬのだ。


と、不意にそのものは、再び闇のマントに身を隠し、
何処にか消えてしまった。


残るは空間の顫動のみで、
そのものが存在してゐる事は間違ひないのであるが、
何故におれの視界にその姿を現はし、
ぽろぽろと涙を流したのかは、
決定的に理解不能なのだ。


だからといって
そのものの存在をおれが抹殺出来る力なんぞはおれは持ってをらず、
そのものにとって或ひはおれの存在が涙を流すほどに哀れであったのかも知れず、
結局は、おれの問題に収斂するのだ。


そのものは何を思ったのだらうか。
――南無阿弥陀仏。
と、そんな言葉が思ひ浮かんだ。

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