ボトルネック・ギターに酔はされて
私の心の琴線に触れて、
音楽に酔ひ痴れた休日、
締めはやはり、Robert Johnsonだ。
あの甲高くもなんともいへない哀切が滲み出るVocalに
一人で弾いてゐるとは思へぬ超絶のギターが繰り出すボトルネック・ギターのうねる
デルタ・ブルースの頂点に君臨したブルース・マンの
ほぼ百年前の歌声に酔ひ痴れる不思議に
エヂソンの発明のお陰とはいへ、
よくぞ三十歳にも満たない生涯の彼の音源が残ってゐたと
その奇跡に惜しみない拍手を送るが、
然し乍ら、この私の心とボトルネック・ギターの音色の親和性は
どこから来るのかと思案してみると、
ギターの音色のゆらぎが
この私を私と名指せぬ揺らいだままの不安定な私の立ち位置に
共振するのかもしれぬ、と思ひなす。
どうも私は確固としたものが苦手で
絶えず揺らいで不安定なものに心惹かれるのは、
この私の定まらぬ私といふ存在の在り方に由来するらしい。
エドガー・アラン・ポーがギターを初めとする弦楽器が好きな人の特徴を
なんとかと書いてゐたが、
華やかさを強烈に加へる管楽器も好きな私はポーの範疇からは零れ落ちてゐるのだらう。
とはいへ、西洋の平均律に、また、十二音階に物足りなさを感じる私は、
そこから食み出る例へばインド音楽などの民族音楽が好きで、
その一つとして、ブルー・ノートを基調とするブルースが好きで堪らない。