徐に頭蓋内の闇たる《五蘊場》で頭を擡げた「そいつ」は
蟷螂のやうに鎌で獲物を摑まえる如く、
また、カメレオンが舌を伸ばして獲物を捕へえる如くに、
《吾》が《吾》たる根拠を食ひ潰し始めたのだ。


――嗚呼、何故に《吾》は「そいつ」に狙はれたのか?


隙があったのだ。
「そいつ」が闇の中で頭を擡げたが最後、
どうあっても《吾》は腸(はらわた)から食はれるのだ。


その時、一瞬でも《吾》が《吾》にぴたりと重なるのであれば、
《吾》は最早、一時も生き延びる資格はないのだ。
――さあ、喰らへ! このお粗末な《吾》が《吾》になってしまった憐れな《存在》を。さうして、《吾》は再生するのだ。


――しかし、果たして、《吾》は再生などできるのか?


さう《五蘊場》の中で言葉にならぬ言葉が波となって反響し、
一粒の《吾》の核を形作るのか?


さうかうしてゐる内に《吾》はすっかり「そいつ」に喰はれ尽くされ、
残るは《吾》の何なのか。


――それを「魂」と呼ぶのではないかね?
――馬鹿な! 「魂」が残るなんて《吾》は死んだも尚生き恥をさらし続けるとでも?


さうなのであった。常在地獄にある《吾》は、
未来永劫に亙って《吾》は《吾》であることを強要され、
さうして《吾》は《吾》から一歩も踏み出せぬ軟弱な《存在》に過ぎぬのだ。


――嗚呼、《吾》が無くなっても尚、《吾》を求めずにはゐられぬ《吾》の弱さは、しかし、《吾》が此の世で生き延びる起動力ではないのか?


そして、《吾》の「魂」、否、「意識」がすっくと立ち上がり、「そいつ」を無益にも、哀しい哉、罵倒し始めたのだ。
積 緋露雪

物書き。

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