うらうらと立ち上る陽炎は
曖昧であってはならない。
それは、必ず私の存在を証明する証明書。
それが曖昧であっては私の立つ瀬がないではないか。
ゆらゆらと立ち上る陽炎は
たまゆらでも揺れてはならない。
揺れるのは私のみで十分なのだ。
存在を証明する陽炎が揺れては、
摂動する私を私は捉え切れる筈がないではないか。
私からするりと逃げる私てふ存在に対して
陽炎は薄羽蜉蝣(ウスバカゲロウ)の幼虫、蟻地獄に落ちた蟻の如く
私に束縛されてゐなければならぬのだ。
陽炎を見れば、そいつが此の世に確かに存在しているかが一目瞭然なのだ。
私は既に陽炎に呑み込まれてゐるのだ。
それ故に存在に触れたければ、陽炎を触ればいいのだ。
その時何も感じなければ、そいつは既に此の世のものではなく、
幽霊でしかない。
陽炎が堅固な物質として此の世に存在しなければ、
何を信じて私は生きようか。
陽炎が堅固故に私は、私を追ふ永劫の鬼ごっこが出来るのだ。
さうして私は一息つきながら、陽炎を触って絶えず私の存在を確認してゐるのだ。
何時の時にか私はすっかりと陽炎と化して、
この時空間を自在に飛び交う念速を手にする希望なくして、
私は一時も生きた心地がしないのだ。
吾、この地に立つ。
さうして陽炎が私から絶えず立ち上るのだ。
それは恰も私が絶えず揺れ動く波として此の世に屹立する外に
存在出来ぬと世界に強要されてゐるかのやうに。
ゆらゆら動く陽炎は堅固な物質である。
これを最早疑う余地は全くないのだ。
一方、私はてふと水でしかない。
さうして私は今も水としてのみ此の世に存在しているに過ぎぬだ。