風は東風であらうが南風であらうが、
顔を撫でるやうに吹いてはいけない。
風はびんたをする如き朔風のやうに
刺刺しく、そして、存在をぶん殴らなければならないのだ。
さうして、存在は漸く覚醒し、吾を探し始めるのだ。
風は存在を斬り付ける鎌鼬(かまいたち)でなければならぬ。
さうして漸く存在は眼を開けられるのだ。
鎌鼬に切り刻まれた存在は
独り此の世の不合理を凝視し、
それを喰らふ豪放磊落な素振りを見せなければならぬ。
さうやって存在は己の存在に我慢が出来、
また、己に対して断念も出来るのだ。
世界を不合理な世界と嘆く前に存在は風にぶん殴られ、
はっと目を覚まさねばならぬのだ。
つまり、全ては己に非があると承諾せずば、
世界には先づ、相手にされぬ。
さうして世界が永劫の距離のある存在として
吾が世界を認識した時に、
初めて吾は吾に対して嘆けばよいのだ。
それまでは存在は風にぶん殴られながら
絶えず目覚めてゐなればならぬのだ。
決して寝ることなど出来ぬやうに。
風は東風だらうが南風だろうが
存在の頬をぶん殴るやうに此の世を吹きすさび、
存在を覚醒させねばならぬのだ。
さうして漸く吾は吾である事を自覚できるのだ。