口惜しきはお前の生に対するその姿勢なのだ。
お前は生に対してかくの如く断言しなければならぬ。
「死んだやうに生き永へえるには、《吾》は《吾》の無間地獄から抜け出すべく、《吾》は須からく覚悟を持つ事。」
それは陽炎の如く曖昧模糊とした《吾》の造形を意識は《吾》には齎さないが、それでも《吾》は抽象の中にほんの僅かな具象の欠片を《吾》に見出だしては、安寧を抱くのだ。


それ、再び《吾》から陽炎が飛翔する。薄ぼんやりと前方を眺めてゐると《吾》の体躯から陽炎が湧き立つ翳が見えるのだ。


それで《吾》はかう断言しなければならぬ。


「《吾》この珍妙なる存在よ。最後までその正体を現す事なく、《吾》が太陽のやうに非常な高温なコロナの如き陽炎を放つことで、《吾》を敢へて現実に順応させる陽炎よ。
《吾》の内発する気は祝祭の前夜祭。
気が気の精でならなければ、人間は一時も生きられぬに違ひない。


人いきれの中で、吾は夢見で知らぬ人と今生で最後の邂逅をするやうにして合いながら、ほら、しかし、最早、一瞥した見知らぬ人は既に私の記憶から忘れられている。


ヒューヒューと風音を鳴らす吾の胸奥に隠れてから暫く立つ《吾》は、
只管孤独を恋しがるのだ。そして端倪すべからず存在に対しては終始穴に首を突っ込み、
恐怖の眼下に隠された何かの奥から鋭き視線ばかりがビームを放つ如くに前方の荒涼とした風景を眺めるのだ。


その渺茫たる抽象世界に果たして生命は生きうるのか。
やがてくる砂漠化した世界で
《吾》はゾンビとして墓から抜け出し、
夜な夜な悔し涙を流しているのだ。






不意に意識が遠くなり、脊髄が痺れることで、
私の意識は私の預かり知れぬ領域にぴょんと跳躍するのだ。
さうして、吾は私の自意識から剥落する自意識から脱皮し
何物でもないニュートラルな自意識の様相で宙ぶらりんなるのだ。


このどっちつかずの有様にほろ酔い気分で上機嫌になり、
私が私であると断言できないこの眩暈の瞬間が
なんのことはない、吾が吾から遁走するいつものやり口なんのだ。


眩暈にある吾は直にぶっ倒れることがはっきりと解ってゐるのであるが、
その僅かの時間がぐにゅうっと間延びし、
その短い時間のみ、吾は吾であることが言明できるのだ。


この眩暈の時間はダリの絵の如く時計はぐにゃりと曲がり、
どろりと零れ落ちやうに流体物と化し、
既に吾の意識も歪にぐにゃりと流体化して、
時間の進行を全く意識することなく、
卒倒までの短い時間の快感をもっと堪能するのだ。


ここで、吾はもはや今生では会えない吾に玉響でも遭うのだ。
そこで、吾は吾に溺れてはならぬ。
これは、吾が吾に対して詭計を行ふいつもの手なのだ。
今にも羽化登仙するかのやうな吾の心地よい瞬間に騙されず、
吾は、しかと吾の体たらくを直視し、
さうして吾はほろ酔い気分の中にありながらも、吾を断罪するべきなのだ。


それが吾が卒倒するときの唯一の礼儀であり、
吾が現在にしかをれぬことに対する最も有体な姿勢なのだ。


さうして、吾は吾に対する言葉を全く失うことで、
吾は吾に対して絶句することで心底から語り合ふことが可能といふ矛盾を
身をもって知るのである。


吾と吾との間に最も相応しい言葉は沈黙であり、
さうしてしじまが吾の卒倒を誘うのだ。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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