それは俺の手には余りあるものと言はねばならぬ。
しかし、闇が此の世に存在する限り
そいつは俺を其処へと誘ふのだ。
そいつの名は無限と言ふのだが、
それは俺にとって余りに抽象的なものなのであった。


無限級数をぢっと眺めてゐても何にも解からぬが、
然しながら、其処には俺の与り知らぬ先達たちの知の痕跡が残されてゐて、
或る無限級数は収束するのだ。


ところが、それがさっぱり解からぬのだが、
しかし、俺の拙い論理を当て嵌めてみると、
何の事はない、俺には未だに無限が抽象的な、
否、形而上的な何ものかと
錯覚したいだけなのだ。


無限を前にすると、俺は顔が引き攣って
胸奥で快哉の声を挙げずにはゐられぬのだ。
成程、俺にとって無限は或る憧憬の一種であった。
俺の内なる声を聞けば
無限に呑み込まれたく浮世を這ひずり回っているのだ。


或ひはさうなのかもしれぬが、
無限に憧憬を抱いてしまふ俺は、
今も尚、赤子の如く浮世に投げ出され、
さうして母親の乳房をぢっと待ってゐるだけなのかもしれぬ。


無限とは腹が減るものなのである。
だが、無限を満たすには、食物では駄目なのだ。


それには抽象的な思索の断片が必要で、
それを唯一美味さうに無限に飢ゑた俺は食らへるのだ。


何を嗤ってゐるのかね。
君にはきっとこんな事はどうでもいいのかも知れが、
俺にとっては生死を分けるのっぴきならぬものが無限なのだ。


もう、後退りは出来ぬのだ。
何故ってもう俺は此の世に生まれ落ちてしまったからさ。
一度でいいからこの掌で無限をぐにゅっと握り潰して
俺の手で、無限を具現したいのだ。


さうしてやっと俺は生きる事に我慢が出来るかもしれぬのだ。
何を我儘を今も尚言っているのかと吾ながら自嘲してしまふのだが、
かうまで拗れぬうちに無限と折り合いが何とか付けられれば良かったのだが、
馬鹿な俺は不覚にもその時機を逃してしまったのだ。
だからといって無限から一歩も遁れられぬ俺は、
無限を追って無様にぶっ倒れるのだ。


さうしてぶっ倒れた俺は抽象的な無限を食らふべく
きっと今も尚無限を凝視し、無様に無限を追ふしかないのだ。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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