不図気付くとそいつが傍らにゐて、
絶えず俺に罵詈雑言を浴びせてゐるのだ。


――あんたは、そもそも己の存在を問ふだけの頭を持ってゐやしないぜ。不条理此処に極まれり。あんたさあ、馬鹿だよね。
――現存在とはそもそも馬鹿ではないのかね。
――そこさ、あんたのをかしな処は。あんたさあ、何をもって、存在なんぞ馬鹿な事に血道を上げているのかな。をかしいだらう。世界認識が出来ない奴が、存在とは……笑止千万。


尤も、そいつも世界認識の何たるかを知らないのは自明に思へた。


――へっ、よく、森羅万象なんぞと、大仰な言葉を簡単に使へるな。
――しかし、存在は荘厳なものではないかね。
――馬鹿な。存在なんぞ、虫けらの生と一緒さ。あんたは虫けらの生を馬鹿にしてゐるだらう。
――いや、昆虫ほど世界に順応した存在は此の世にない。つまり、昆虫は世界認識が元元出来てゐるのさ。先験的に昆虫はその生に世界認識が埋め込まれてゐる。
――すると、あんたにしてみると、虫けらに美を感じるのかね。それでは訊くがあんたの生と虫けらの生を比べる事をあんたはしてゐないかい? ちぇっ、それこそあんたの思ひ上がりも甚だしいのが解ってゐるのかい、このうすのろが。


そいつの声が俺の心の声なのは重重承知してゐたとはいへ、
俺はその俺に対して罵詈雑言を絶えず吐き続けるそいつが
愛らしくて仕方がないのも、また、事実なのである。


そもそも馬鹿者でない存在が此の世にあり得るのであらうか。


――はっ。


と、吐き捨てると俺は独りで暗がりの中にゐる自分を発見し、
嗤はずにはゐられなかったのだ。
そんな俺の口癖は何かと言ふと


――疲れた。


と言ふものであり、
当然、生に疲れてゐた俺にとってそいつの存在は、
心神耗弱した俺が見る幻覚に違ひないのであるが、
幻覚が見えてしまふほどに疲れてゐた俺は、
独り暗がりに横たはり
浅い睡眠をとるのが日常なのである。


その浅い眠りの中、当然、俺は夢魔に弄ばれて、
目くるめく転変する夢魔が現出する世界に翻弄されつつ、


――何を馬鹿な。


と半分信用していない己を見出すのであったが、
しかし、それは夢見るもののLogicからは逸脱してゐて、
夢魔が現出する世界は夢見るものにとって全肯定せねばならぬものであり、
さうあることで現存在は世界認識の度合いを深めるに違ひないのであるが、
どうも俺は、そもそも夢魔を馬鹿にしてゐるのかもしれなかったのである。
さうでなければ、夢魔に弄ばれる事に快楽を見出す筈で、
快楽を味はへるからこそ、
世界認識の扉は開くに違ひないのだ。


尤も、俺に世界の何が解かるのかとそいつは問ふのであったが、
俺がかうしてある事が既に世界認識へ至る端緒に違ひなく、
それ故に俺はそいつの罵詈雑言を心地よく聞いてゐられたのかもしれぬのだ。


不図気付くとそいつは俺の傍らにゐて、
俺はと言ふと、
そいつの罵詈雑言を欲してゐたのだ。
何ともMasochism染みてゐて
自虐的なもののみの特権として、
世界認識と言ふ大それたことに手が出せて、
しかも存在に関して思ひを馳せられるとの先入見に騙されながら、
俺はそいつの罵詈雑言を頼りにして、
独り、静静と現存在の虚しさをやっとの事で嘆けるのだ。


――それで、あんたは幸せかい。






此の世とは奇妙に捻ぢれた秋の夜


何を知る知らねばこそ意味あるに知って吾が身を亡ぼす吾は
積 緋露雪

物書き。

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