憂愁の中で私は
私は只管私の外部と内部の両睨みで睥睨してゐたのであるが、
もはや疲労困憊の私には鬱勃と憂愁が私の何処から湧き出し始め、
そんな憂愁の中で私は腐敗し始めたのかもしれなかった。
既に私の内部は崩壊を始めてゐて、
その死体が永きに亙って私の内部に横たはり、
何の事はない、
私は私の内部に目眩ましを喰らはされてゐたに過ぎぬのだ。
さうして永きに亙って死体としてしか
もはや存在してゐなかった私の内部は、
私の知らぬ間に腐乱を始め、
気が付けば腐臭が私の内部に充満してゐたのである。
それが芳しかった時期もあった筈なのだが、
憂愁の中に落ち込んでしまった私にはその腐臭は
もはや堪へ得ぬ悪臭に変貌したのだ。
この憂愁の中にある私が正常なのかもしれず、
腐臭を腐臭として感じられる感性こそに私は私の根拠を求めたのであるが、
如何ともこの悪臭には悩まされる以外になかったのである。
私は私からの脱出を何度も試みたのであるが、
それはことごとく失敗に終はり、
さうして私は憂愁の中に投げ出されたのだ。
私からの脱出に倦み疲れた私は
この腐臭に我慢する外なく、
腐臭を腐臭と感じられる私こそが正常な私であった筈なのであるが、
そんな私はどうしても居心地が悪く
私が私である事が不快でならないのだ。
自同律の不快とそれを名付けた先人がゐたが、
その時その先人は自らの腐臭を嗅いでゐたかもしれなかったのだ。
この腐臭は、しかし、私が存在したその根拠であり、
腐臭が立ち籠めてゐる限り、私は死体とはいへ、
私は必ず存在してゐる事は間違ひなく、
それのみが私の安寧の根源なのだ。
哀しい哉、ゆっくりと時間は流れゆく中で私は、
ゆっくりと腐乱してゆく内部の私に鼻を抓みながらも
私は何とか此の世に存在するのだ。
「死体に口なし」とはいへ、
気付けば既に腐乱死体となってゐた内部の私は
腐臭と言ふ形でその存在を指し示す事でしか存在出来なかった私は、
哀しいのか、ただ、腐乱した私をぢっと眺めることは憚られ、
さうして倦み疲れた私は、内部の私から目を逸らす事しか出来なかったのだ。
憂愁の中で私は内部の私の甦生を全く行ふ事なく
唯、抛っておく事しか出来なかった。
雲を掴むやうにしてしか、結局、私は私に対峙出来なかったのだ。
つまりは、私は内部の私を既に見捨ててゐて
それが腐りきって消滅するのでの残された時間を
生きる事に精一杯で、
私が私に関はる事に既に倦み疲れてゐた私は
鬱勃と私の湧泉から湧き出す憂愁に
抱き抱へられるまま
悩ましげにしながら確かに存在してゐたと思ひたかったのかもしれぬ。