何てことはない。
神と呼ばれてゐたものは、
森羅万象に擬態し、
その身を隠してゐて、
常人には見えない存在として此の世を闊歩してゐたのだ。
それが知れたからと言って、
神は全く臆することなく
擬態に擬態を繰り返して
此の世の森羅万象に変化するのだ。
しかし、それを一度知ってしまった者は、
気が触れて、気狂ひとして後ろ指を指されながら、
途方に暮れて、
それでも砂を噛む思ひをしながらも何としても生き延びるべきなのだ。
だが、神を見たという者は最早それのみで此の世の中で孤立せずにはをれぬのだ。
何とも残酷な仕打ちなのだが、神を見てしまった者は基督のやうになる外にないのだ。
此の世に見捨てられ、磔刑にかけられて、
神を全く信じぬ白痴の者達に
嬲り殺される外ないのだ。
さて、俺はこれまでに何人の神を見た者を見殺しにしたのだらうか。
俺がその咎から遁れられぬのは言ふに及ばず、
実際に自責の念に駆られながらも、
神なんぞ信じることなく、
森羅万象の秘密を知り得べくと思ひ上がった先入見により視野狭窄に陥り、
さうして実際に森羅万象の秘密を一度は科学者に委ねたのだ。
しかし、それが誤謬でしかないといふことが解ると
俺は顔を蒼白にしてぶるぶると震へ出し、
ずぶ濡れの子犬の如く此の世に懺悔したのであった。
擬態する神は、
しかしながら、そんなことには眼もくけず、
森羅万象に変化することを楽しみ、その自在感に満足至極の態で
俺にあかんべえをして、
にこにこと嗤ってゐやがるに違ひないのだ。
それに憤怒した俺は、しかし、神の為すがままに弄ばれて、
遂には此の世に屹立する場を失ひ、
俺はやうやっと闇に擬態する術を覚えたのだ。
闇に紛れてゐる俺は、
やがて盲て完全に闇に同化するに違ひなく、
さうでなければ俺は直ぐにでも自死の道を選ぶのであったが、
かうまで神に弄ばれたまま、
憤死するのも忌忌しく、
闇の中で眼光鋭く神の擬態を見破って
神諸共死するべく、
その時を只管待ってゐて
闇の中で息を殺してゐるのだが、
闇に目が慣れて来るに従ひ、
視力は弱り、
神の擬態を見破るなんて俺の思ひ上がりに過ぎぬのであり、
俺が闇に身を隠したことが既に俺の敗走の始まりでしかなかったのだ。
――そんなへっぴり腰ぢゃ、私の擬態を見破るなんて千年早いぜ。ふっふっふっ。ほれ、もっと闇を喰らって、闇で私を捕へる術を探るんだな。へっ。何時まで生きてゐることやら、ふはっはっはっはっ。ざまあないぜ。