濃い霧の中にでも放り込まれたやうに
私は既に世界を失ってゐた。
辺りは無気味なくらゐに静寂に包まれ、
私が現在どのやうな状態にあるのかすら判別出来なかったのだ。


つまり、世界は私の状況を知るには最も基準になるものに違ひ会のであるが、
しかし、私はそんな曖昧な私の状態をこよなく愛してゐる私自身を其処で見出したのだ。


私の存在に関して果たして世界は必要なのだらうか。
事故介す積する分には世界は必須であらうが
事私自身が私自身において私を語る分には世界は或ひは必要ないのかもしれぬ。
私は曖昧な世界の中で、
何にでも変身出来、妄想を逞しうして
その妄想にたちどころに変化する私を思ふのだ。
其処に世界が割り込む隙間はなく、
世界が無くとも私は私の存在を確信できると、
しみじみと思ふのだ。


確かに、世界の存在が明瞭ならば、私の存在も明瞭になるのは自明の理だが、
しかし、仮令世界を失っても私は私であることを已めやしないのだ。


――何をほざくと思ったならば、世界の紛失が私が私を見出す契機になる? 馬鹿な! 世界の紛失は則、私の消滅を意味してゐるのだぜ。
――だが、曖昧な世界においても私は私の存在を全く疑ふことはないんだぜ。つまり、死後も私は残るのだ。
――馬鹿な。死して尚も私が存在するといふ戯言は譫妄のなせる技で、お前は既に気狂ひの仲間入りをしてゐるのだ。


気狂ひであらうが、其処には必ず誰にも知られぬ私が確かに存在してゐて、
その私を忖度する権力は、私以外誰も持ち合はせてはゐない。


何故だらう。
この濃霧の中に没したやうな世界にあってすら、
私は私の存在の根拠を世界に求めてゐるのは確かだが、
しかし、私は何処かで世界は既に私を見捨ててゐると看做してゐるとも感じてゐて、
世界の無い中にでも私は存在してしまふ業の深さのみを感じるのだ。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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