私は性能がもの凄い計算機でも私の頭蓋内の闇、
つまり、脳といふ構造をした五縕場が函数を模した存在でもない。
例へば仮にさうだと看做せても私は死んでも絶対に肯んじない。
私の存在が函数のやうだとしても、
だからといって私が函数である筈はなく、
函数のやうに私を扱ふもの全てが間違ひで、
私は世界を媒介してゐる媒体でもなく、
私は単独者として凜と存在したいのだ。
何時からか、電脳計算機が此の世を
押し並べて統べるかのやうな錯覚に存在は惑ひながら右往左往してゐるが、
それは、吾を函数のやうなものとして蔑視してゐる証左でしかない。
数学は美しいが、しかし、此の世は数学で語れるものばかりでなく、
情動で感ずる世界の姿があり、
それは荒ぶる世界であり、慈悲深い世界でもあるのだ。
情感すらも数値で表はす現代において、
それを信ずる馬鹿はもう見飽きた。
数値で表はせないものが此の世を統べてゐることをそろそろ見破らなければ、
吾は世界に欺かれ続け、
欺瞞がさも真実のやうに大手を振って
此の世を闊歩する下劣な世界観が支配する。
そんな世に私は生きたくないのだ。
数学が支配する合理的な世界観は私にとっては不合理でしかないのだ。
合理が合理を強要する世界において、不合理に存在する私といふものは、
不合理にしか存在出来ず、それは私にとっては果てしもなく不合理なものでしかない。
数学は美しいし、
それは世界の癖を表はすには現状では最高の言語であるかもしれぬが、
論理的なるものの薄っぺらさは、しかし、底なし沼の薄っぺらさなのだ。
それは合わせ鏡の鏡面界の無限に映し出される世界でしかなく、
それをFractal(フラクタル)な世界と看做すと
自己相似的な世界は、絶えず自己にこだわり、その相似が世界に満ちるのみなのだ。
そんな薄っぺらな世界にはもううんざりなのだ。
――だからといって、お前は論理から遁れは出来ないのだ。ふっふっふっ。全ては数学に始まり、そして、数学に終わるのだ。つまり、此の世を数学の言葉で書き表す限り、電脳計算機が支配するのは当然で、そんな世界に順応するには、数学を神に祭り上げる外ない、のかな。