それは避けやうもなく、
静かに忍び寄ってきて、
不図気付くとそれは既に手遅れの状態なのだ。
病とは大抵そんなもので、
気付いたならば既に手遅れの場合が多い、と慰めたところで、
気休めにもならず、唯唯、未練が残るものなのだ。
それで構はぬとは思ひつつも、
必ずやってくる別れの時のためには
今は、涙を流すことは已めておかう。


愛するものとの別れとは、
いつも残酷なものであるが、
残酷故に、此の世は此の世として成り立つとも言へるのかもしれぬ。
さて、死するまでの残された時間、
いつものやうに普通の日常を過ごすとしよう。
それがせめてもの慰めであり、抵抗でもあるのだ。
有り体の普通の生活こそが最後の晩餐に最も相応しいのだ。
積 緋露雪

物書き。

Share
Published by
積 緋露雪

Recent Posts

死引力

不思議なことに自転車に乗ってゐ…

2日 ago

まるで水の中を潜行してゐるやう

地上を歩いてゐても 吾の周りの…

3週間 ago

ぽっかりと

苦悶の時間が始まりつ。 ぽっか…

4週間 ago

狂瀾怒濤

吾が心はいつも狂瀾怒濤と言って…

1か月 ago

目覚め行く秋と共に

夏の衰退の間隙を縫ふやうに 目…

2か月 ago

どんなに疲弊してゐても

どんなに疲弊してゐようが、 歩…

2か月 ago