いつも前向きといふ言葉に恥辱を感じてゐた私は、
いつも、後ろ向きであった。
その恥辱の感情の出自は何かと問ふたところで、
しばらくは何の答へも見つからず、
いつも前向きであることを避けては
斜に構へて、前向きに進む人を嘲笑ってゐたのかもしれぬ。
しかし、嗤はれてゐたのは、
いつも後ろ向きの私であって、
それが恥辱の出自の糸口だったのだ。


さうして見出した恥辱の糸口を更に辿りゆけば、
私の存在そのものが恥辱でしかないといふ思ひに行き着くのだ。
これは一方で自己否定をしては自身に何をするにも免罪符を与へてゐて、
いつも逃げ道や逃げ口上を設けてゐて、
此の私の小賢しさが恥辱の淵源であり、
既に狡猾で老獪な知恵を身に付けてゐたのかもしれぬ。
だからといって、私の内部に生じる恥辱といふ感情は、
私の存在そのものの根拠に結びついてゐて、
だから、私は、私といふものを意識するときには、
己に対する恥辱の感情を禁じ得ぬのだ。


存在が既に恥辱であるといふことは、
或る意味では生きやすく、
しかし、一方では全く生きづらい存在のあり方であり、
他者にとってはそんなことはどうでもいいに違ひないのであるが、
どうあっても私においては此の恥辱なしに私といふものを意識することは出来ず、
ならば、私は無我夢中であり続けばいいだけの話なのであるが、
根っからの懶惰な私は、
これまで何をするにも後ろ向き故に無我夢中であったことはなく、
どうしても後ろ向きにしか進めぬ私は、
絶えず自己省察することに確かに歓びすら感じてゐて、
後ろ向きであることに胡座を舁いてゐたのは間違ひなく、
後ろ向きであることは未知なるものを見ることを避けてゐて、
それは狡いといふことに尽き、
既に他者が既に切り開いた道を後ろ向きで
ちょこちょこと進んでゐるに過ぎない私は、
当然、己を恥辱を持ってしか受け容れられないのだ。


これは、しかしね笑ひ話でしかなく、
喜劇役者の主役を演じてゐるに違ひないが、
ピエロになれぬ私は、私の存在に対して絶えず恥辱を感じずに入られぬのだ。


さあ、哀しい奴と嗤ふがいい。
さうして己は己に対して我慢出来、
此の恥辱な存在に堪へ得、
そして、私は私に執着することを断念できるのだ。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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