胸の奥底から息が吐き出されるやうに
どす黒い咳をするお前は、
もうすぐ死の床につく。
だからといって日常は日常のまま、のたりと過ぎて、
お前の風前灯火の命の輝きは今にも燃え尽きさう。


既に死相が浮かんでゐるお前の顔を見るのが辛くて、
もう正視は出来ぬお前の可愛い顔の二つの眼窩にぎらぎらと輝く目玉は、
一方的に俺の顔を凝視してゐる筈だ。
さうしてお前は可愛い顔で哀しく泣く。
それにもう応へられぬ俺の心持ちは、
己の死に対しては全く恐怖も未練もないのだが、
俺が愛した存在が死ぬといふことに対しては何と脆弱なものなのか。


さう哀しい声で泣くな。
お前もまた既に肚は決まってゐて、
唯、俺と別れる哀しみに泣いてゐるのだらうが、
夕闇に消えゆくお前の姿が、お前の来し方を予兆してゐる。


何がこんなに哀しいのだらう。
一つの命が此の世から消えるといふことは
唯の化学反応の帰結に過ぎぬかも知れぬが、
いくら《念》が未来永劫に残ると看做してゐても
肉体が消えゆくその愛する存在が恋しくて
俺は泣く。


あと何日お前とゐられるのだらう。
その日が来る覚悟はしてゐても
どうしても辛いのだ。


さあ、お前を抱いて
今生の愛撫をしようか。
積 緋露雪

物書き。

Share
Published by
積 緋露雪

Recent Posts

死引力

不思議なことに自転車に乗ってゐ…

2日 ago

まるで水の中を潜行してゐるやう

地上を歩いてゐても 吾の周りの…

3週間 ago

ぽっかりと

苦悶の時間が始まりつ。 ぽっか…

4週間 ago

狂瀾怒濤

吾が心はいつも狂瀾怒濤と言って…

1か月 ago

目覚め行く秋と共に

夏の衰退の間隙を縫ふやうに 目…

2か月 ago

どんなに疲弊してゐても

どんなに疲弊してゐようが、 歩…

2か月 ago