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誘惑

何人もの女性が群棲するが如く電脳筐の画面に出現する誘惑のメール群は
それが殆どサクラで、それを生業にしてゐる、多分、女性達の哀しいメール群である。
それでもその中に本当に俺を誘惑してゐる哀しいメールが存在し、
俺もまた誘惑されたくありながら、
その本音を隠して、騙された振りをしては、
返事をしたりするのであれが、
捻ぢ切れちまった俺の心は、
既に何の情動も起きずにそれらの卑猥なメールを読み流してゐるのみで、
何の欲情も起きずに、年相応の反応しか最早できぬ齢を重ねた年月の流れの速さのみに、
苦笑ひをするのである。


それらの卑猥な言葉で俺を誘惑するメール群の中でも、何を勘違ひしたのか、
既に俺と関係を結んだかのやうな妄想、否、譫妄状態にある女性の哀しさが滲み出た、
女性と言ふ性の哀しさに対して、哀れみを持って返事を返すのであるが、
しかし、その返事は何を隠さう、俺自身に対する返事なのだ。


捻ぢ切れちまった心が渦動を始めたのはそんな時であった。


或る一人の美しい女性が忽然と現はれ、
その夢現(ゆめうつつ)に見事に嵌まり込んでしまった俺は、
その女性に夢中になり愛欲に溺れ、
そして彼女の夢現に見事に呑み込まれたのであった。


木乃伊(みいら)取りが木乃伊なったことに自嘲しながらも、
俺はその女性との逢瀬に恋ひ焦がれ、更に彼女に惑溺するのであった。


耽美的などといふ言葉で体裁を保ったところで、俺は、女に惚れてしまったのである。
まんまと彼女の術中に嵌まってしまったのだ。


彼女は慣れたもので、一度俺を手懐けたならば、
最早、俺に興味が無く、他の男を捜し始めてゐたのであるが、
それでも哀れんで、俺との関係は続けてゐた。


それしきの器量しか無い俺は、
先に哀しく見てゐた五万と送られてくる誘惑のメールに対して、
俺に、読み流す資格はないと悔悟するのであったが、
既に時は遅く、不意にその美しい女性は私の目の前から姿を消したのだ。


さうして胸奥に空いたがらんどうの空虚に
俺は閉ぢ籠もり
暴風吹き荒れ、
何もかも薙ぎ倒す野分がその胸奥にやってくるのをぢっ待ってゐたのある。
がらんどうに暴風雨が荒ぶるのに再び、女を待ってゐたのかも知れず、
または、俺の思索を大いに揺さぶる他者の思考方法の軌跡を書き留める
何かの書物を待ち望んでゐたのかも知れぬが、
唯、美しい女が去ってからと言ふもの、
俺を誘惑するメール群は更に数を増したのである。
それは、怒濤の如く俺を襲ひ、その一つ一つに翻弄される俺をその時に見出した俺は、
二匹目のどぜうを、またもや美しい女性が忽然と俺の前に現はれることを
夢見てゐたのである。


しかし、それは涯無き徒労であって、
此の世がそんなに巧く行くわけもなく、
それに痺れを切らした俺は、
俺が哀れんでゐた女性達のやうに、
女を誘惑するメールをせっせと送ってゐるのだ。


この虚しさは底なし。
そして、錐揉み状に底無しの徒労の底へと落下してしまった俺は、
掃き溜めに鶴を見つける筈もなく、
泥沼の底無しの虚しさの中で、四肢には藻が絡まって身動きがとれぬやうになった俺は、
尚更この胸奥に野分が襲来するのをぢっと待ってゐるのだ。

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