其(そ)はまやかしか。
俺は確かに存在の何たるかを掴んだ筈なのだが、
ぎんぎんに輝く灼熱の太陽光がほぼ垂直から刺すように降り注ぐ中、
陽炎は此の世を歪曲し、世界を何か別のものへと変えてしまってゐる。


その中で、確かに俺は存在の何たるかを掴んだ筈なのだが、
それは邯鄲の夢の如く夢現の眷属でしかなかったのか。
ぐにゃりと曲がった林立する高層Buildingの中に
確かに其はあった筈なのだが、
それは逃げ水の如く吾が掌から逃げてしまってゐた。


そもそも存在といふものは気まぐれで、
その正体を絶えず隠しながら、
存在は、存在を追ふものに対して
あかんべえをするものなのだ。


そんなことは既に知ってゐた筈だが、
俺としたことが、
存在がするあかんべえにまんまと騙されちまった。


無精髭を伸ばしたそいつは、
鏡面まで追ひ込んだのだが、
変わり身の早いそいつは、
覆面を剥ぐやうに存在の素顔を剥ぎ取り、俺の面を被りやがったのだ。


当然鏡面に映るのは俺の顔なのだが、
その顔の生気のないことと入ったら最早嗤ふしかなかった。


しかし、錯覚は時に世界に罅を入れ、
そのちょっとした隙間から垣間見える
彼の世が見えるものなのだ。


錯覚は脳が作り出した映像と言はれるが、
だから尚更、錯覚の中には、存在の正体が紛れ込んでゐて、
何食はぬ顔で俺を愚弄してゐるのだ。
何せ、脳という構造をした闇たる五蘊場には異形の吾が犇めき、
どいつが
――俺だ!
と言挙げするのか、待ってゐる状況で、
その異形の吾は、どれもが直ぐさま
――俺だ!
と言挙げしたいのだが、どいつも性根が据わってをらず、
どの異形の吾も、
――俺だ!
と言挙げする勇気はなく、臆病にも身体を寄せ合って五蘊場に犇めき合ってゐるのだ。
さうして、その押しくら饅頭から弾き出されたものが、渋渋、
――俺だ。
とか細い声を上げて俺を絶えず愚弄することを始めるのだ。
すると、異形の吾は、途端にその意地の悪い性根が生き生きとし出して、
舌鋒鋭く俺をやり込める。
最初はそれに戸惑ひながらも、
俺に対して言挙げをするそいつは、
さうしてゐるうちに
――俺だ。
と己のことを錯覚、いや、錯乱し出して、譫妄の如く俺をでっち上げるのだ。
さうしてでっち上げられた俺は、もう訳が解らずでっち上げられた俺を唾棄するのだ。
ところが、俺が俺を唾棄したところで、結果は同じことで、
直ぐさまでっち上げられた俺があてがはれ、
恥も外聞もなく、
――俺だ!
と俺に対して最後通牒を告げるのだ。


しかし、それが決して許せぬ俺は、最後は、でっち上げられた俺を撲殺し、
譫言を呟き始める。
――俺は終はった。さうして倒木更新の如く若芽の俺が、再び芽生えるまで、俺は俺であることを宙ぶらりんにしておくのだ。撲殺されたとは言え、その死体は俺なのだから。


でも、俺の若芽は、いつまで経っても芽生えぬであった。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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