己が哀れむのを誰ぞ知るや

既に此の世に存在してしまふ事で、
その存在は既に哀しいのだ。
それはどんな存在でも暗黙裏に承知してゐる事で、
今更言挙げする必要もないのであるが、
しかし、その愚行を敢へて行ふ吾は、
大馬鹿者でしかないのだ。


その自覚があるのに己が哀しいと哀れむのは、
単なるセンチメンタルでしかないのであるが、
そのセンチメンタルな感情にどっぷりと浸る快楽を
おれは知ってしまったが故に敢へて馬鹿をやるのだ。


快楽に溺れるおれはエピクロスの心酔者なのかも知れぬが、
おれはそれでいいと開き直ってゐる。


さうして、他人に馬鹿にされることで尚更快楽に溺れ、
最早、その快楽から遁れられぬ蟻地獄の中の蟻の如くに
おれは存在そのものに生気を吸ひ取られてゐる。


存在に生気を吸ひ取られるとは一体全体何を言ってゐるのかと
吾ながらをかしなことを言ってゐるとの自覚はあるのであるが、
しかし、存在は生気を吸ひ取ることで存在を存続させてゐるのは間違ひのだ。


存在とはそのやうにしてしか存立出来ぬもので、
森羅万象はその寿命を全うし、
次の宇宙が始まるための準備をするのだ。


宇宙とは、何世代もが続くものであり、
宇宙は、ポーが『ユリイカ』で推論したやうに
膨張と収縮を繰り返しながら、
何世代にも亙って宇宙は成長するのだ。


さうして、此の宇宙もその寿命を迎へては、
外宇宙にその座を追はれることになり、
急速に収縮し、
宇宙の移譲が行はれるに違ひない。


さうなれば、再び存在が蠢き出して
その頭をむくりと擡げては、
存在がぽこぽこと始まり、
ものが生まれるのだ。


さうして、再び、次世代の宇宙は膨張をはじめ、
常世の宇宙は幕を閉ぢ、諸行無常の世へと変貌するのだ。


かうして宇宙は次々と取って代わり、多分、無数に存在する外宇宙が
その出番をいつまでも待ち続けてゐるに違ひない。


そんな馬鹿な夢想に耽るおれは、
その短い一生を生き抜くのであるが、
短い一生とは言へ、おれにとっては、
おれの寿命は多分、ちょうどいい長さなのかも知れぬのだ。


それが死産で終はらうと、
二十歳の早すぎる死で終はらうと、
将又、百歳まで生きようと、
それはおれにとってはちょうどいい長さの一生なのだ。


今はまだ生き延びてゐるおれは、
おれの最期を思ひながらも、
現在を快楽に溺れながら過ごしてゐるのだ。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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