余りに草臥れた時、
意識は、己がふわっと浮く感覚を察知する。
その時、意識は自由落下してゐて、
意識の重さを見失ってゐるに違ひない。
――何? 意識に重さがあると?
――当然だらう。それは脳に重さがあることから自明のことさ。
――何故、自明のことなのかね。
――例えば脳が活発に活動してゐる時にはEnergy(エナジー)が増大し、脳は膨張してゐる筈だ。俺の言葉で言へば、五蘊場にEnergyが増大した故にその分確実に意識の重さは増大し、俺は意識を見失ふのだ。
確かに、俺は草臥れ果てた時に意識は様様な表象を断片的に瞼裡に出現させては、俺をきりきり舞ひさせ、尚更俺を草臥れさせる。草臥れた五蘊場には脈絡のない表象が生滅しては俺を困惑させるのだ。
――それでは一つ訊くが、意識とはEnergy体なのかね?
――さて、それがよく解らぬのだ。例へば、「念」に重さがあるとするならば、当然意識にも重さはあることは自明なのだが、「念」に重さがなく、光と同様のようなものだったならば、それは、重さがないEnergy体と看做す外ない。
――これまで、意識の重さを量ったことはあったのかい?
――いや、ないだらう。そもそも誰も意識がEnergy体とは考へてゐないからね。
――それでは意識を何と?
――脳の活動としか捉へていない。意識が独立したものとしては誰も看做してゐないのだ。それが共通概念なのだらう。しかし、誰もそれを確かめたものはゐないのだ。端から意識は脳活動によるものとしてしか看做せないのだ。
――へっ、それでは一つ訊くが、脳の活動とはなんぞや?
――それが解れば、誰も苦労しないだらうね。
俺はそのまま意識の重さを見失って、ふわっと浮き上がったやうな感覚に囚はれたのである。さうして、草臥れ果て、眼窩の目のみをぎらぎらと光らせながら闇を凝視するのであった。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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