何をも押し流さうとしているかのやうに
今日も土砂降りの雨が降ってゐる。
今はまだ出水にならぬ程度だが、
やがて野分がやってきて、
根こそぎ吹き払ふに違ふにちがいない。


屋根に当たる雨粒の音は、恐怖を誘ひ、
犬っころは隠れる場所を探すのにそわそわしてゐるが、
土砂降りの雨の中にぽつねんと座るのみ


これから更にこの土砂降りは酷くなり、
唯、野分けが過ぎゆくのをぢっと息を潜めて待つことしか出来ぬおれは、
土砂降りの中にぽつねんと座っているあの犬とどこが違ふのか。
何処かでは屋根が吹き飛ばされ、
何処では竜巻が発生し、
さうして、おれもまた、己の無力感に虚脱するのであるが、
その中で、出水に晒されるのは敢へて言へば不幸中の幸いなのか。


おれは野分けが来ると高揚する。
それは生死がかかった修羅場に対峙する高揚感に違ひなく、
生きるか死ぬかは、天のみぞ知る、若しくは、人間万事塞翁が馬でしかなく、
この諦念は人間の限界を突き付けられているその瞬間のそれに違いがないのだ。
――へっ、 人間は限界があるんだぜ。
と嗤ってゐるそいつが存在する。
そして、そいつとは何かというのは
名状し難きものとしてその気配のみしか感じられぬのであるが、
唯、そいつはおれの生死を握ってゐるのだ。
――そいつ。
何なのか、そいつとは。
そいつはあるとき”自然”といふ名を冠しているが、
だからと言って、そいつの正体が明らかになる訳でもなく、
唯、お茶を濁してゐるに過ぎぬのだ。
――ざまあないぜ。
とおれは自嘲の引き攣った嗤ひを己に対して浮かべるのみ。


――嗚呼、おれはこの緊迫した状況を確かに楽しんでゐて、己の死が近しいといふことが嬉しいのだ。倒錯したこの感覚は、既に捻くれたおれの本性の為せる技なのだ。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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