滅亡を憧れる
自他の齟齬に悩むのは当然として、
その中で自我を通すのであれば、己が滅亡することに正統な筋がある。
他に対しては自我と呼ばれる類ひは、全て滅亡するに限る。
さうして自身の席を他に譲ることでもっと生命力にも満ちあふれた存在が出現するかも知れぬのだ。
さうして羸弱な存在が生き残るよりも
生命力が強い存在が生き残るのが筋で、
さうして病弱なおれはそっと此の世から消えるのを或ひは待ち望んでゐるのかも知れぬ。
へっ、それは逃げ口上に過ぎぬぜ、と嘲笑ふおれは、
ぢっと箴言の言葉を噛み締めながら、
この場は堪へ忍ぶしかないのだ。
おれの本心は、それでも生きたいといふ願望が強いのであるが、
しかし、病気により滅亡することは全的に受け容れる覚悟は既にできてゐる。
おれも既に病死することを考へる齢に達したのだ。
それだけ生き延びてきた報ひは必ずある筈と覚悟の上に、
おれの危ふい生の有様は、
それでも沈思黙考しながら藻掻き苦しみ、
死への誘いの陥穽に何時落ちるのかとびくびくしながら石橋を叩いて渡るように一歩を踏み出すおれは、
本心では死を忌み嫌ひながらも、死と戯れる退廃した耽溺に甘ったるい蜜を知ってゐるおれは、
素直に滅亡することを、受け容れ知るべき齢に達したのだ。
滅亡してゆく中で、おれは、静かにおれといふ生の何であるかを知り得るかも知れず、
さうなればめっけものであるが、大概はおれはおれの最期までおれを裏切るものであり、
おれは時の中に沈殿するものなのか。
さう思ったところで何の解決の糸口も見つからず、
おれは出口なき堂堂巡りの大渦に呑み込まれるのみなのだ。
――ざまあ、ないな。