自然は自然において衰滅する。
とはいへ、それは生物が存在できぬ環境が現出するだけで、
自然にとって痛くも痒くもない。
そこで、視点を永劫の相に移してみると
自然も衰滅することは必然で、
やがては此の宇宙も衰滅する。
でなければ、今現在、未出現のものが
永劫に出現する機会がなく、
それは不合理であらう。
「不合理に吾信ず」と言ふ箴言があるが、
それは徹底的に存在者の言であり、
未出現のものにとっては迷惑この上ないのだ。
例へば、人間の存在が、生物絶滅を加速させるならば、
それは喜んで受け容れるべきなのだ。
人類に代はって
新たにこの世の首座の位置を握る存在の出現がその時には待ち望まれ、
人類の此の世からの退場は未出現のものの登場には不可欠なのだ。
だから、人類はさっさと滅亡してしまうが一番なのだ。
とはいへ、人類は此の世に未練たらたらで、
何としても生き残る術を見出すと思ひ込んでゐる馬鹿者で、
科学技術の更なる発展が人類を救うなどといふ馬鹿げた幻想を夢見る人類は
もう 種としてその役割を終へてゐる。
世界を己の都合が良いやうに変へたてしまった人類は
その報ひを受けるべきで、
そうぢゃなきゃ、
此の世は不公平でそれこそ不合理なのだ。
自らの力で自ら滅んでゆく人類は
次の未出現の出現の足しになるかも知れぬが、
もう、人類の智慧など白痴の慟哭と何ら変はりがない。
――そうまでして人類をこき下ろすのは何故かね。
――そんなことは決まってゐるぢゃないか。人類の此の世の春はもう終はってゐて、更に盛夏も終はってゐて、爛熟の腐りかけた文明がのさばってゐるのみだからさ。へっ、それはもう腐臭を発してゐて、誰もがその腐臭の臭ひを嗅いだ筈だ。だが、誰もそれに対して口を閉ざしてゐて、そこのことはそれを認めたくない人類の不都合な真理なのさ。
やがては宇宙の藻屑と消える人類は、さて、どこまで思索したのか、それのみが試されてゐるのだ。さうして、やっと人類は此の世に存在した証を残せるのであって、文明は既に滅びの位相へと移行してゐる。