何処とも知れずに湧いてきた「魔のもの」たちの祝祭が
漆黒の闇の中で始まった。
それは欧州でのワルプルギスの夜と呼ばれるものに近いのかも知れぬが、
極東のこの島における漆黒の闇の中の「魔のもの」の祝祭は百鬼夜行と呼ばれるものか。
その祝祭はやけに楽しげで、
至る所でどんちゃん騒ぎが始まり、人が一人づつ喰はれる度に、
「魔のもの」たちは大騒ぎ。
その楽しさは極上この上ないものと見え、
「魔のもの」たちはどぶろくの杯を高々と上げて、
人一人喰われる度にその肉を美味さうに喰ひ千切って一呑みでどぶろくを呷るのだ。
中には、度数の強い焼酎といふ気取った酒を楚楚と呑むスノッブの「魔のもの」もゐるが、
それでも、その「魔のもの」たちは誰もが楽しげな笑顔が浮かんでゐて、
人喰ひのといふことがそれ程にも楽しいのだ。
さて、その祝祭で喰はれるものは、
予め人間によって捕獲されたものたちばかりで、
それは此の世で罪を犯したものなどの他に、
まだ、年端も行かぬ子どもが一人混ざってゐて、
その子どもがその祝祭最後の生け贄なのだ。
その残酷さが「魔のもの」たちには堪らぬらしい。
所詮、「魔のもの」と雖も高が知れてゐて、
人間を喰らって騒ぐくらゐしか能がないのだ。
そんな単純なことで喜ぶ「魔のもの」たちは
余程想像力に乏しいらしく、
そんなことぢゃ「魔のもの」たちも「魔」であること失格で、
そんなどんちゃん騒ぎなんぞ、
喜んでゐる場合ではないのぢゃないかね。
お前らは、棲む場を人間に追われ、
その腹癒せに人間を喰らってゐるのかも知れぬが、
そんなことぢゃ「魔のもの」は生き残りゃしないぜ。
此の世に漆黒の闇の恐怖を再び呼び起こすのだ。
漆黒の闇の中に人間が置かれると、
人間は誰もが恐怖に震へる。
それは、無限に対峙する恐怖なのだ。
無限を見失った人間ほど悪辣な存在はなく、
そんな人間ほど此の世の王を気取ってゐる。
お前ら「魔のもの」たちは、
そんな張りぼての「王」を喰らはずして、何とする。
年端の行かぬ子どもを喰らって憂さを晴らしたところで、
何の事はない、
「魔のもの」たちの自己満足でしかないのだ。
祝祭だ。
ドラキュラのように
人間の王を槍で串刺しにして
見せしめとし、
人間に恐怖を植ゑ付けるのだ。
「魔のもの」たちの祝祭とは、
強きを挫く「善行」を行ふことが
お前たちのIrony(イロニー)だらう。
お前たちはそもそもがIronyな存在で、
『ファウスト』のメフェストフェレスの如くに
「悪を為さんとして善をなす」ところの
悪魔の眷属であり、
お前ら「魔のもの」たちは、
徹頭徹尾善行を犯すのだ。
それ、祝祭はこれからだぞ。