夜と朝の間(あはひ)の薄明の中、
死んでしまったレナード・コーエンの歌を聴きながら、
世迷ひ言のやうに腹の底から奇声を上げ、
それでお前は満足かね、といふ問ひに薄笑ひを浮かべつつ、
おれは、この軟体動物にも為れぬおれを断罪するのだ。


何をしておれはおれを断罪するのかと言へば、
それは、おれが既に存在してゐる罪悪感からに過ぎぬのであるが、
しかし、この罪悪感は底無しで、
おれをその穴凹に突き落とすのだ。


低音が心地よく響くレナード・コーエンの歌声が導くやうに
おれは底へ底へと引き摺られながら、
おれが大好きな蟻地獄の巣に陥ったかのやうに
この穴凹の主に喰はれるおれを想像しては、
底知れぬ歓びに打ち震へる。
おれは、おれの存在の抹消を或ひは冀(こひねが)ってゐるのかも知れぬが、
だからと言って死に急いでゐる訳でもなく、
何時かは必ず訪れるその死を楽しみに待ちながら、
おれは、矛盾してゐるとは言へ、
生を楽しんでゐるのだ。


へっ、この穴凹を嘗てはNihilismと言ったが、
おれは今以てこのNihilismの穴凹から這ひ出る術を知らぬのだ。
頭のいい奴は既にNihilismを超克し、
新=人として此の世に屹立してゐるのであらうが、
おれは白痴故にこの穴凹から出られずに、
羽根をもぎ取られた蜻蛉の如く
此処から飛び立つことは出来ぬのだ。


ゆらりと薄絹の蔽ひが揺れた。
美は薄雲とともに蒼穹に消え、
醜悪のみが此の世に残されたのか。


きいっ、といふ鳥の鳴き声。
薄明の中、空には真白き小鷺の群れが飛んでゐる。


揺らめく薄絹の向かうに
死者の顔が浮かんでゐる。


女は真っ裸でおれが抱きつくのを待ってゐるが、
穴凹の中、
色恋に溺れる度胸はない。


直に日の出を迎へるこの薄明の中、
おれは白痴なおれを嗤ふに違ひなく、
おれの吐く息で薄絹は揺らめき、
おれが世界から断絶してゐる事を思ひ知らせるのだ。


ならばと酒に溺れて羽化登仙し、
一時このNihilismの穴凹から抜け出した夢を見る。


軽さは存在するには絶対必要条件。
重力に捕まっちまったおれは
天を蔽ふ薄絹を掴まうと
手を伸ばすが、
その無様なことと言ったら
醜悪以外の何ものでも無い筈だ。


薄絹が流れはためく。


そして、天道様は微睡みを齎すべく今日も昇る
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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