緩やかに眠気が襲ふ中、
さて、意識は何処にあるのであらうかと自問す。
果たせる哉、意識は頭蓋内の脳と言ふ構造をした五蘊場にあると言ふのは
単なる先入観でしかなく、
気があるところに意識は遍在してゐるに違ひない。
それといふのも第一に触覚が意識の大分を占めてゐるからだ。
触覚が薄れる眠気の中において意識はやがて朦朧として、
触覚が不覚になるとともに眠りに就く。
眠りに就いたならば、
触覚は全く働かず、火傷をしてゐても何にも感じないのだ。
その間、意識はといふと、夢遊に遊んでゐる。
例へば火事で焼死するといふ事例が後を絶たないのは、
眠ってゐるときには意識は既に夢の中で、
それはもう意識とは言へず
意識は雲散霧散してゐて、
それを敢へて名指せば、
意識を攪拌しての意識の溶解、
つまり、気の分散に感覚は不覚状態に陥り
意識は感覚を捉へることに悉く失敗するのだ。


この意識と感覚の脱臼関係は、
例へば焼死といふ悲劇を招くが、
一方で、この意識と感覚の脱臼は、
夢中と言ふ得も言へぬ悦楽に自我を抛り込むのだ。


此処で我慢できずに無意識と言ふ言葉を使ひたい欲求を感じるのだが、
無意識は、断言するが、ないのだ。
無意識といふ言葉は意識を語るための逃げ口上に過ぎぬ。
意識は溶解と凝固を繰り返し、
気を集めては霧散しながら、
感覚に繋がり、脱臼するのだ。


そして、感覚は不覚と覚醒を繰り返し、
やがて睡眠状態に陥る。


其は統覚をぶち壊し、
自我を自縛する意識、もしくは気の蝟集、否、輻輳を溶き、
存在を溶解させし。
其を吾は意識の脱臼と呼びし。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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