独断的なる五蘊場試論 その一

命題
表象は存在の現実との軋轢が五蘊場に現はれたものである。


証明
ゆらりと揺らぐ表象世界に巨大な波が存在するのは自明であると看做す。
その波の発動は、然し乍ら、外部世界、つまり、現実世界との軋轢により齎されるものである。
それは、而して五蘊場が自己組織化してゐる場として看做してゐるがためである。
そもそも五蘊とは色・受・相・行・識といふ仏教用語であるが、
吾、物質的存在たる色をも含めての脳と言ふ構造をした頭蓋内の漆黒の闇を五蘊場と名付けし。
それは脳がそもそも物質的なる存在故のことである。
五蘊場なる考へ方は物理学的な場の理論からの要請であるが、
当然此処には統計神経力学、神経場理論、そして自己組織理論をも射程に入れた独断論的な言葉の強要が存在する。
それでも尚、五蘊場と言ふ言葉が有効であるとする根拠は、
統計神経力学、神経場理論、そして自己組織理論から食み出るものが厳然と存在するからである。
例えばそれは、心と言ふ呼び名で呼ばれてゐるものであるが、
それは魂と言ひ換へてもまた間違ひないのである。
そして、五蘊場は、心の数理論化をも射程に入れてゐて、
仮令、心が数理論化されようが心を現存在は制御出来ないからである。
また、人工知能が心を持たうが、その心は現存在の心の後追ひでしかなく、
絶えず最先端を行くのは現存在の心、つまり、心の発現場である五蘊場なのである。


さうして存在はいづれも内部を持ってゐる。
故に内部と外部の軋轢は避けようもなく、
その軋轢が内部においては刺激となり、
それが電気信号へと変換され、
刺激として五蘊場に齎される。
その信号が五蘊場の何かを刺激して内部のみで完結する内部世界が創られて、
それが外部世界、つまり、現実世界と衝突し始める。
さうして初めて現存在は外部のなんたるかを認識し始めるその端緒となるのである。
その時内部世界、つまり、表象は大いに揺さぶられ、
表象において世界認識の矯正を強要される。


故に表象は現存在の現実との軋轢の五蘊場での現はれである。
そして、現存在を抽象化、つまり、普遍化を無理矢理行ひそれを存在に言ひ換えると命題の証明となる。
故に表象は存在の現実との軋轢が五蘊場に現はれたものである。
積 緋露雪

物書き。

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