珈琲を淹れながらもおれは絶えず空の重さを感じながら、
双肩にのし掛かるそのずしりと重い圧力に押し潰される恐怖にたじろぐおれを宥めるやうにして
おれはおれの位置に屹立する。


ところが、己の位置から食み出す瞬間といふものはあるもので、
淹れ立ての珈琲を畳に座って啜りながらも空の圧力で
おれはおれから圧し出され、
元に戻らうとするのであるが、如何せん、それが空の仕業であることから、
おれはおれの位置を見失ひ、
さうしてひっくり返るのだ。
そのとばっちりで机上に零れてしまった珈琲がぽたぽたと机の端から畳に落ち行くその雫を凝視しながら
然し乍ら畳の上に倒れたおれは意識闡明して、
つまり、気絶することで意識を失ふことはなかったのであるが、
しかし、金縛りにでもかかったのか、
ぴくりとも動くことは出来なかったのである。
皮肉なことにそれがおれの正しき位置なのかもしれず、
つまりは空が許したおれの位置なのだ。


だが、おれはおれの自立的なる位置に戻らなければ
空に一生服従することでしかおれの位置を確保することは無理で、
おれの自由なんぞは夢のまた夢でしかない。


おれの位置に、つまり、おれが珈琲を啜りながら座ってゐた畳の上に
再び座ることでしかおれの位置は確保出来ぬのだが、
其処が果たしておれの本当の位置かどうかはどうでもいいことなのだ。
唯、おれは空の圧力に屈する不甲斐なさに抗ふべく、
おれは全く動けぬも藻掻き足掻くのだ。


何故におれはその時全く動けなかったのだらう。


おれの位置から食み出たおれは、
多分におれが望んでゐたことなのかも知れず、
それを空の所為にしているだけなのかも知れなかったが、
だが、空の圧力は本物だったのだ。


さて、畳にひっくり返ったおれは、
だだただ考へることのみをしてゐた。
最後は内的自由のみがおれに許された砦なのだ。
其処におれの位置を見出したかったのか、
おれは只管に考ることに徹してゐたが、
内的自由なんぞは気休めにしかならず、
やはりおれはまた畳の上に
座らなければならぬのだ。


この呪縛から放たれる端緒は何処にあるのか。


気が付けぱおれはひっくり返ったままに眠ってゐた。
それが皮肉なことにおれの最大の抵抗の姿勢だったのだ。
動けぬならば、寝ちまえとばかりに大鼾(いびき)を掻きながらおれは眠ってゐた筈だ。
ざまあ、とばかりに空に対して大鼾を放ちながら、
空にとっては耳障りな轟音を放ったのだ。


その時、天籟が聞こえておれは目が覚めた。
さうしてやがて嵐が来るに違ひなかったが、
やはりおれはまだひっくり返ったままなのだ。


おれの位置から食み出たおれは、
最期までおれの位置には戻れぬかも知れぬが、
それもままよとばかりにおれは今あるおれの状況を肯定したのである。
すると何の事はない、おれはすんなり動けて、
また、畳の上に座ることが出来たのだ。
一体何だったのだらうか。
おれはまた此の世におれの位置を見出し、
自由に動ける開放感を味はひ尽くす。
此の世で自由に動けることは付与のものではなく、
おれがおれの位置にゐることのみで可能な、
つまり、空の圧力に屈しないだけの強靱な肉体を持つもののみに許された
後天的なる潜在力なのだ。


おれにはおれの位置がある。
而して、それは双肩で空の重さを担ひながら、
おれがぐしゃりと潰れぬ限りにおいてのおれの位置なのだ。


それになんの偶然が存在すると言ふのか。
おれが此の世に存在するといふことは偶然ではなく、
必然として此の世が選んだ位置がおれの居場所なのだ。
其処から食み出る時もままあるが、
哀しい哉、それも余興と愉しむ外ないのだ。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪
Tags: 位置

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