生と死の均衡が破れたとき、
生者はもう死へとまっしぐらへと突き進む。
これはどうすることも出来ぬことで
絶えず、生と死の均衡の元に生が成り立つ以上、
その均衡が破れれば、死への顚落は必然なのだ。


それでも残された生の時間を充実したものにするのに、
周りのものは変はらぬ日常を過ごすに限る。
それが残されるものの精一杯の餞(はなむけ)なのだ。
涙を流す暇などない。
死に睨まれてしまった愛するものとの別れには
変はらぬ日常を送ることが最高の餞別なのだ。
さう思ふしかないではないか。
愛するものの死への行進に
深く哀しむのは当然なのだが、
それは単に上っ面の哀しみでしかない。
死に行くものに対して
普段と変はらぬ日常こそが正統な哀しみの表し方なのだ。
死への顚落を始めたものは
直ぐに変はらぬ日常は送れなくなり、
死の床に就く。
それでも変はらぬ日常をお互ひに過ごすことで、
死に行くものは安心するのだ。
這いずってでも死の床から出て、
変はらぬ日常を送りたく、
死に行くものはさう望む。
それが自然とといふものだらう。


生と死が睨み合ふ此の世の摂理において
死の睨みが勝ったとき
死に行くものは最期の輝きを放つが、
それが残されるものに対する最期の奉公なのだ。
さう思はずば、堪へられぬではないか。


時間はゆっくりと流れるが、
確実に死に行くものの生を削り取る。
時間こそ残酷なものなのだが、
醜態を見せようとも
死に行くものはその時間から零れ落ち、
残されたものの記憶の中で生きるなんて陳腐な言い方はせず、
死に行くものは念を此の世に残し、
残されたものの五蘊場にはそれに対する共振板があり、
死に行くものの念は堪へずそれを振るはせる。
それでいいのだ。


空には変はらず白い雲が流れ、
時間は残酷にもその流れを止めることなく
ゆっくりと進む。
それでいいのだ。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪
Tags: 死へ傾く

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