何故にかうも惹かれるのでせう。
瞼を閉ぢただけでもう闇の世界の入り口に立てるのです。
闇好き、つまり、趨暗性なる私にはこれ程耽溺出来る「遊び道具」は外にはないのです。
或る時期は無限への憧憬から瞼を閉ぢては闇に耽溺し、
その中で、私は内的自由を存分に味はってゐたのです。
それもこれも闇が何をも受け容れる度量の持ち主で、
例へば頭蓋内の漆黒の闇たる脳と言ふ構造をした五蘊場には
宇宙全体が薄ぼんやりとながらも受け容れることが可能なのです。
闇の中では何ものも伸縮自在で、宇宙全体はぎゅっと収縮して五蘊場に収まり、
然もなくば、素粒子の微少な微少な世界を拡大に拡大を重ねて見える如くにさせるのもお手の物なのです。
これ程に吾が心を満足させるものはなく、また、五蘊場の闇には森羅万象は勿論のこと、
此の世に存在しないものすらをも五蘊場の闇には存在可能なのです。
瞼を閉ぢるだけでこんなにも魂を揺さぶって已まぬ闇と言ふ世界が現前に出現し、
その闇に表象が再現前化して、世界を揺さぶってみることも難なく出来得るこの瞼の存在は、
生物の進化に深く関わってゐる筈で、
瞼の存在は、思索の深化を保証する組織なのです。
うお~んと音にならぬ唸り声を出しながら、五蘊場か瞼裡に明滅するかの者の表象。
あっ、かの者は飛翔し、闇の奥へ奥へと飛び行くのです。