空きっ腹にのむ煙草に全身が弛緩して行く中、
魂だけは吾を渇仰して、また、世界を渇仰して已まないのです。
髪を振り乱し、形振り構はず魂は貪婪に存在を欣求して已まないのです。
そもそも私の存在は魂との大きくずれてゐて悩ましいのです。
これは誰にもあることとは思ひますが、
悲嘆に暮れること屡(しば)屡(しば)の私には私の現実の存在、つまり、魂のRealism(リアリズム)における私を渇仰して已まないのです。
今日も蒼穹は真っ青に晴れ渡り、
哀しみを一層深いものにするのです。
しかし、太陽は私の魂を一向に照らすことはないのです。
何時も闇の中で内的自由に藻掻いてゐる私の魂は、
所詮は内的自由に我慢がならず、
とはいへ、内的自由によりのみにしか存在の謎の何かが潜んでゐるとしか言へない以上、
闇での表象との戯れに終始する内的自由に渇仰する魂の望みを賭けるしかないのです。
では、魂は一体何を望んでいるのでせう。
それは永劫かも知れません。
それは森羅万象の法かも知れません。
それは世界の精密な認識かも知れません。
それとも魂が心底満足できる世界なのかも知れません。
仮令、それが何であらうとも魂の渇仰は収まることはないのです。


今日も蒼穹は落ちてくることもなく、
ゆったりとしたArch(アーチ)の梁で支へられ、
その梁は私の肩が支えてゐるのです。


さう思はなければ蒼穹に失礼だと思ふ私は
杞憂といふものを信ずるものなのです。
何故って、私が屹立しなければ、
蒼穹は蒼穹ではあり得ないでせう。


風を集めても魂は飛翔できないのです。
想像することではこの魂の渇仰はもう満足できないのです。
何かを創造する事でしかもう私の魂は満足できないのです。
考へが甘い事は解ってゐますが、
闇の中の内的自由で、表象と戯れる時間はもう終わったのです。


寒風吹き荒ぶ真冬の真っ青な蒼穹を見上げ、
あの蒼穹を握り潰すことが私の魂を満足させる術なのかも知れません。
渇仰する魂は、しかし、上を見上げずに足下を見下ろすのです。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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