そのままでいいと言はれようが、
おれは終始偽装する。
それが世界に対する正統な振る舞ひ方で、
騙し騙される此の世の渾沌の中での唯一残さた主体の取り得る姿勢なのだ。
此の世は欺瞞に満ちてゐるなどと嘯いたところで
それは現実逃避の逃げ口上に過ぎず、
此の世が欺瞞に満ちてゐるからこそ尚もおれは偽装するのだ。
つまり、おれは世界と狸の化かし合ひをしてゐるのであって、
老獪な世界に対して高高百年くらいしか存在できぬ生き物たるおれは
偽装することでやうやっと生き延びることが可能なのだ。
ときに、若くして病死してしまふ人生もあるが、
それもまた、偽装の末のことであって、
おれの脳裡ではロバート・ジョンソンのブルースが鳴ってゐる。
その哀切なる歌声に人生の儚さを思ふのであるが、
ロバート・ジョンソンは二十九歳で射殺されてしまっちまって、
珠玉のブルース・ナンバーを数十曲吹き込んだことを除けば、
その人生は余りに儚く、ロバート・ジョンソンもまた、
偽装した人生を歩んでゐたと言へるだらう。
何故といって、素顔を晒してしまったが途端に
ロバート・ジョンソンは恨みを買い射殺されてしまったのだ。
主体の本性が垣間見えたときに、他人は己の嫌な部分が見えてしまふのか、
その醜悪さに思はず目を避けるのだ。
それ程に本性は誰にとっても目を背けたくなるものであり、
其処に救ひは全くないのだ。
更に言へば素性が明らかになることなど今生ではないに違ひない。
仮に主体の素性が明らかになったところで、
それもまた、偽装した主体の仮面であり、
さうでなければ、他人はやはり目を背けるのだ。
此の世で最も醜いものが主体の素性、若しくは本性ならば、
それは偽装するのが儀礼といふものなのだ。
さて、おれは此の世界の森羅万象の素性を闡明することに明け暮れた時期もあったが、
それが既に欺瞞でしかないことに気付いた途端、
おれは世界の森羅万象の偽装の仕方に興味は移り、
その巧妙至極な偽装の仕方に感嘆する外なかったのだ。
邯鄲の夢に過ぎぬとも言はれる此の人生において
上手く偽装できなければ、
世界と断絶し、
主体は繭を作って
その中に閉ぢ籠もることに相成り、
老獪至極なる世界に対してたったの一撃すら喰はせることすら出来ぬのだ。
それを無念と言ふのではないか。
さあ、偽装の仕方に巧妙になる訓練に励め。
己の本性ほど醜悪至極なものはないのだ。