ものと言ふのは存在するだけで既に引力か斥力を発してゐて、そのいづれにも属さぬものは、ものとして認識されることはなく、あってなきが如くに意識の俎上にさへ上らぬ何ものと言ふ疑問符がつくものとして非在するものなのだ。しかし、その意識の俎上にも上らぬものの非在と言ふ存在の在り方が吾の存在に何らかの影響を与へてゐるから、存在とは一筋縄ではいかぬもので、意識上に上らぬからといって、無意識などに消えることはなく、非在と言ふ形で存在するそれらはそれらのものの存在を以てして人知れず恐れ怯えてゐるものなのだ。
私はそもそも無意識と言ふ考へには否定的で、無意識などは夢幻の類ひに違ひなく、無意識は現存在の有様において論理から食み出た非論理的なる狂気を覆ひ隠すためにでっち上げざるを得なかった前時代的な唾棄されるべき産物の残滓に思へるのである。それと言ふのも無意識によって闇に葬られしものたちの呻き声を一度でも聞いてしまったならば、もう無意識などと言ふ言葉でお茶を濁すことは不可能な筈で、それでも尚、無意識と言ふ言葉を使へる輩は思考停止してゐるだけに過ぎぬのだ。
非在と言ふ形で存在するものは、いつ何時意識上に上ってきて不意に虚を衝く形で襲ってくるかも知れず、存在は、つまり、此の世の森羅万象は、絶えず存在に怯えてゐて、意識上に上る上らぬの選別を意識的に行ってはをらずとも、何時も緊張を強ひられ、亀の如く、将又、蝸牛の如くに、何かあると直ぐに頭を引っ込める準備をしながらびくびくと此の世に存在するものなのだ。
さうしなければ、存在の存続は絶えず危険と隣り合はせで、例へば不慮の事故で絶命することも日常茶飯事で、つまり、いとも呆気なく死んでしまふ憂き目に遭ふ可能性に晒されてゐて、いつ何時でも死んでも何ら不思議ではないのだ。
存在を語る時、存在と言ふ言葉の周りをぐるぐると回る視野狭窄と言ふ悪癖がある私は、ちょっぴりとそれを避け、いなすようにしてみると、例へば時空間と言ふものは、普段は全く意識することはなく過ごさうと思へば、何の不自由なく過ごせてしまふのであるが、私にとっては時空間は絶えず意識せざるを得ぬもので、少しでも気を抜けば、時空間に押し潰される威圧感を感じる故に、或る種の強迫観念の如く、私にのし掛かるのである。その見苦しさといったならば、何とも此の世の時空間の中に存在することのとんでもない居心地の悪さは言ふに及ばず、そもそも私の此の世における存在に何か大いなる問題があるとしか思へぬ後ろめたさが絶えず意識され、此の時空間の中で生きることの罪悪感は、それはそれは醜いものなのである。つまり、私に限って言へば、時空間は何時も意識せざるを得ぬもので、その存在が、唯、存在するだけで私を苦しめるのである。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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