衰滅するものは、
それだけで背筋をピンと伸ばし、
最期に黙礼をして此の世から去るのが筋といふものだ。
それを怠って最期に断末魔を発するのは、論外である。
衰滅する時、それが如何に無念で苦悶に満ちてゐようが、
衰滅するのは此の世の摂理であって、
何ものもこの期に及んで、それを避けようもなく、
況して自然こそ衰滅する最たるものである。
自然が衰滅するその時、決して断末魔を発することはなく、
自然は衰滅を全的に受け容れ、
衰滅の時、静寂か渾沌か解らぬが、しかし、その中でその最期を迎へるのは必然であり、
それはまた、太陽系の衰滅に際しても同じことが言へるのである。
そんな自然の振舞ひに倣って、
此の世の森羅万象が衰滅する時、
何かにならうとしたけれども何にも変化出来なかったといふ無念に苛まれるが、
それでも此の世の森羅万象は衰滅する時、
折り目正しく黙礼をし、
此の世から去るのが最も自然な振舞ひで
其処で最期の悪足掻きとして断末魔を発する愚行を犯すものは、
仮令、衰滅する恐怖に対して正座をし、
黙礼する準備が出来てなかったとしても
心の底から湧出する断末魔を何としても呑み込んで
四肢が引き裂かれようと
全く無言で衰滅して行くのが最低の礼節といふものである。
それが出来ぬやうであれば、
その存在はそれだけの価値しかないものとして
自ら腹を括って嗤ひのめす度量があってしかるべきで、
衰滅するとは存在の価値を決定する
最初で最後の機会であり、
その時、断末魔を発してしまふものは、
それが如何に破廉恥なことか、へっ、醜悪なことか知るべきで、
それすら自覚がないとすれば、
もう開いた口が塞がらず、
唯、軽蔑の対象にしかならぬ存在であるとの自己表明であると
覚悟だけはしておくべきなのだ。