黄泉の国が出自のものたちがゆらゆらと揺れてゐる。
彼らは既に自分の居場所を見失ってゐて、
行燈の如く淡く光を放ちながら、
己の肉体を出たり入ったりを繰り返し、
さうして黄泉の国に流れてゐる時間を計ってゐる。
その計測はすこぶる正確で、殿上人も思はず舌打ちしながら、
――う~ん。
と唸り声を上げ、
彼らのその振り子運動を両手を挙げて賞賛するのであるが、
さて、そんな中、おれはいふと、
生きてゐるのやら死んでゐるのやら覚束なく、
おれもまた、その足は薄ぼんやりと発光させながら
最期は闇の中へと消えゆく運命が近付きつつあるのを、
わくわくしながらおれが闇に完全に呑み込まれる姿を想像しては、
――これで無限へと昇華出来る。
と、歓喜に打ち震へてゐるのである。
然し乍ら、黄泉の国が出自のものたちとおれの差異は、
月と太陽程の違ひがあると思ひたいが、
実際のところ、それはどんぐりの背比べでしかなく、
生者と雖も常時片足を棺桶に突っ込んでゐて、
また、さうでなければ生そのものが成り立たない。
ならば、自分の居場所を見失ったものたちをせせら笑へるお前は、
果たして出自が黄泉の国とはっきりと否定出来るのか。
此の世といふものは圧倒的に死者の数が多く、
生者は圧倒的少数派に過ぎぬのであるが、
さうであるにもかかはらず、生者は此の世を我が物顔で闊歩してゐる。
その傲慢さが鼻につき、
既に死臭を放ってゐるのにも気付かずに、
生者は不意に死ぬのが関の山。
何処を見回しても死者ばかりの此の世の有様に、
全く驚かない生者の滑稽な事よ。
有限と不連続に、然し乍ら、その隣に無限が存在するように、
生者と不連続に、然し乍ら、その隣には死の深淵の穴凹ばかりが存在する。
生者は何時その穴凹に落ちるとも知らずに、
――はっはっはっはっ。
と、哄笑する生者の無邪気な様は、
喜劇といふよりも、もう悲劇でしかない。