でっち上げた虚構といふ過酷な世界に《吾》を放り込んで、
あれやこれやと《吾》をいびりながら、
《吾》が不図漏らす呻き声に耳を傾ける時、
俺はブライアン・イーノの音楽を流すのが流儀で、
ざまあ見ろ、と《吾》にあっかんべえをして、憂さを晴らしてゐると言ふのか。
しかし、さうせねば、一時も一息すらつけぬおれは、
多分、《吾》に甘えてゐるに違ひない。
何とも難儀な気質なのであるが、
おれは《吾》をいびらずしてはゐられぬ。
さうせずば、安堵出来ぬおれの正体は、
Sadisticな顔をした《吾》虐めに長けただけの
寂しい男に過ぎぬ。
然し乍ら、おれの悪癖は歯止めが効かぬ処。
おれはこれまで何人もの《吾》を虐め殺してゐて、
それはおれによる私刑でしかないのであるが、
その時の恍惚は得も言へぬもので、
おれは《吾》殺しが已められぬのだ。
アルコール中毒患者のやうに震へる手で、
おれは《吾》を殺す快楽に溺れ、
その血腥い手が放つ臭ひに陶然とし、
さうして酔っ払ふのだ。
吸血鬼の如く更なる《吾》の血を求めて
おれは、おれの内部に《吾》が産み落とされる度に《吾》を殺す。
その手捌きは芸術的に美麗なもので、
《吾》を次第に断崖へと追ひ詰める時間の充実ぶりは、
孤独を嗜む上で必要不可欠のものと言へる。
嗚呼、俺の内部に死屍累累と堆く積まれた《吾》の亡骸共よ。
何時までも何時までもそのどす黒い血を流し続けてくれ給へ。
その血を呷ることでしか生を繋げぬおれは、
哀しい生き物に過ぎぬ。
孤独を嗜むには、
さうやって《吾》を私刑し、いびり殺しては
その血を呷る覚悟が必要なのだ。
それが出来ぬのであれば、
孤独などに関はらぬことに限る。