生殖器たる花のやうに此の宇宙が開眼してゐるとすれば、
おれは此の身の恥辱に堪へられるであらうか。
直截に言へば存在することは恥辱以外の何ものでもない。
何故ならどう足掻いたところでおれは不完全な存在であり、
不完全なおれは開眼してゐる宇宙にその身を晒すことは、
宇宙に対する憎悪が増すばかりで、
宇宙に抱かれてゐるといった甘っちょろい感傷には浸れないのである。
おれは、不完全なおれは、づきづきと痛む頭を天へと向けて擡げては
きっと睨んで天へと唾を吐くのだ。
その唾がおれの顔にべちゃっとかかった時に
おれは或る種のCatharsis(カタルシス)を覚え、
おれの駄目さ加減を嗤ひ飛ばす。
しかし、その時にこそ幽かな幽かな幽かな希望があるといふもので、
おれは顔にかかった唾を手で拭い取り
再び天に唾を吐くのだ。
結果は見るも無惨に全く同じで、
この一見して全く無意味なことを何度も何度も繰り返す。
それを見てゐた宇宙が仮におれを見て嗤へばしめたもので、
おれがおれの存在に対して抱いてゐるRessentiment(ルサンチマン)も
少しは和らぐ筈で、
また、開眼した宇宙を顚覆する無謀な試みをも
成し遂げる糸口を其処に見出せる筈で、
――くすっ。
とでも、宇宙が嗤へば、
おれはその隙を狙って宇宙の心の臓を刺すことも可能なのだ。
とはいへ、おれには未だに宇宙の心の臓が何処にあるのかも知らず、
唯、おれのやうな存在を生み出した宇宙の不幸を終はらせるためにも
此の宇宙は死滅することが何よりもの幸ひなことで、
さうすれば、此の不完全なおれも
何か別のものへと変貌出来るのではないかと
一縷の望みを繋いで恥を晒して生きてゐるのだ。