もう思ひ出の中にしか生きてゐないものが恋しくて

お前に会ひたくて
おれは瞑目するが、
おれの胸奥深くでは、
お前はもう年を取ることを止めてしまひ、
相変はらずの元気な姿でゐるが、
現実に目を向けるとお前が死んでもう数年経った。
もう思ひ出の中ででしかお前に会へぬが、
おれは最近になって漸くお前の死に慣れてきたところで、
しかし、お前の死を受け容れるのにはまだ、暫く時間が必要だ。
お前の死が、おれの心に静かに沈降するには
まだ、何度もお前を抱き締めて
お前の嬉しさうな顔を何度も見て、
おれがお前の死を納得するまでは
今暫く待って欲しい。


愛するものの死を受容するのは、
何度も書籍を味読するに等しく、
読む度に印象が変はる如くに
思ひ出の中の愛するものは
何時も変はることなく姿を現はすが
しかし、それに対するおれの感慨は変容し、
それは偏におれが年を取って
着実に死へと近づいた事に起因し、
年降る毎に
思ひ出に対する感慨は
己の死への接近が反映されてゐて
懐かしい日日は
年を経る毎に次第にヘンテコな肉付けをされて行き、
それ故に思ひ出が余りにも生生しく立ち現はれる。
このやうに思ひ出が現実を凌駕するかのやうな
この逆転現象は、
おれが、唯、年を取り、
死期へと一歩一歩と近づいてゐるその跫音が
次第に大きくなって
本当に現実で聞こえるかの如く鮮やかな音として鳴り響く中、
思ひ出が生き生きと闊歩する。
積 緋露雪

物書き。

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