一度自己の存在に対して疑惑が生じると
その疑心暗鬼は何処までも膨らみ
吾を存在の断崖へと追ひ詰めずには気が済まぬ。
そもそも吾の存在に対して疑ひを持たぬ主体は
信用出来ぬもので、
誰もが蒼白い顔をして深夜の道路を行進する。
それを幽霊といふ人もゐるが、
それらは決して幽霊などではなく、
吾を求めて彷徨ふ我執の醜悪な姿に過ぎぬ。
さて、それでは吾は何故に吾を疑ふ事になるのであらうか。
その答へは単純明快で
疑ふ事でしか存在は存在たり得ぬのだ。
存在の全面肯定出来る輩は信が置けず、
そんな輩の言ふ事の何と薄っぺらな事か。
吾へと向かふ吾に対する残酷な攻撃性は、
手を緩める事はなく
それは吾を殲滅するまで執拗に続く。
しかし、それを全く経験してゐない自己の脆弱さは、
見る影もなく、ちょっとの事でぺちゃんこなのだ。
何処までも膨らむ疑心暗鬼は吾を追ひ詰める事で、
溜飲を下げ、存在をやうやっと存在たらしめる。
そもそも存在とはその基盤がない根無し草で、
不安に苛まれながらの疑心暗鬼の化け物なのだ。
そんな存在を抱へ込む吾は、
当然、吾に対して残酷極まりない仕打ちをして、
吾から存在を追ひ出し
吾は尚更吾に対して疑念を深め、
吾が存在を伴ってゐない事に改めて愕然とする。
吾が吾である事は幻想に過ぎず、
吾とは吾でない何ものなのかなのだ。
それを身に染みて知ってゐるもののみ、
やうやっと吾は吾だと呟け、
さうして吾の探索へと赴けるのだ。
だが、吾は吾の探索から遁走に遁走を重ね、
吾にのこのこと捕まるわけがない。
さうして吾は吾の非在を知るのだ。