私の出自を確かなものにするためにも
無造作に記憶を暴かうとするが、
それは返って私といふものを曖昧模糊な存在にするから
已めた方がよい。
何故と言ふに、
私のみの記憶を暴いたところで、
それは詰まる所、
私と言ふ存在のBiasバイアスが思ひっきりかかった主観に過ぎず、
客観性の担保がないので、
記憶は全てにおいて信ずるに足りるものが欠落してをり、
記憶の中の私を再現前させれば、
それはSuper Heroスーパーヒーローかどん底の悲劇のHeroかの両極端な私が出現する筈で
斯様に人間の記憶は
己に都合よく実際起こった出来事を書き換えてしまふものなのだ。


それでも記憶出来なければ、
私は私自身、時間の連続性を全く失って
私は何かをする度に記憶出来ないから
何を現在してゐたかを思ひ出せずに
ぴたりと金縛りに遭ったかのやうに何にも出来ずに
途方に暮れるばかりなのである。
時間が連続してゐる事を担保してゐるのは主体の記憶であり、
記憶する能力を失ってしまふと
世界を流れる時間は細切れにぶつりぶつりと切れて流れを失ひ
記憶出来ない主体のみは時間は瞬間毎に切れてしまって
過去、現在、未来は渾沌として存在しないのである。
その状態に置かれた主体は底無しの哀しみを瞬間毎に抱かざるを得ぬのであるが、
記憶出来ぬ故にその哀しみさへ次次と忘れ行く故に
その過去現在未来が渾沌とした時間の中に生きる主体は
只管ぶつ切りになる現在に留め置かれ、
毎時、世界に吃驚するばかりなのである。


つまり、時間の連続性を担保するのは偏に主体の記憶であり、
記憶出来る事が私を形作ってはゐるのであるが、
偏重して記憶を信ずる事は御法度である。
それは私と言ふものを煙に巻く存在の一つの戦略であり、
さうして存在は記憶を追ふ私を
何時如何なる時でも存在の尻尾さへ摑まへさせぬやうに
絶えず権謀術数を巡らせる存在に振り回されるやうに出来てゐて
記憶を深追ひすれば其処で私は自己陶酔の術中に嵌まる。


しかし、一方で私は自己陶酔したくて
敢へて記憶に閉ぢ篭もり
自己陶酔の中で時間を忘れたくて
夢中に過ごす時間も必要で、
この塩梅が難しいのである。


ところが、記憶は記憶自体毎時変容してゐて
主体の都合に合わせて変態して行くものである。
かうなると私は如何に私といふものに対して信を置いていないかが
解るといふもので、
其処にあるのは不信ばかりなのである。
さう、私は何時如何なる時も私を信じてゐないのである。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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