肯ふは歪んでゐる世界なのだ

極度の乱視のせゐもあり、
私の見えてゐる世界は
そもそもが像を結ぶ焦点がずれてゐて歪んでゐるが、
それを眼鏡で矯正したところで、
その世界もまた、視界の周縁部は
眼鏡のレンズの影響で歪んでゐる。
ところが、私が歪んでゐると言ってゐるその根拠となる”基準”の世界は、
歪んでゐないのかと言へば、
アインシュタインの一般相対性理論を持ち出さずとも
確かに歪んでゐて、
重力がある処は何れも歪んでゐなければ、不合理なのだ。
――ならば、魂の類ひ、例へば心や意識もまた、歪んでゐるのが”正常”なのか?
と、私の内部の人がぼそりと呟くのであるが、
私は内部の人に
――当然だらう。
と、嘯くのである。
本当のところ、魂も心も意識もその形相を知らぬ私に
それらが歪んでゐるなどとは解る筈もなく、
然し乍ら、歪んだ世界に生きる私は脳が世界を見るときに
その歪みを補正して見せてゐるかもしれぬが、
さうならば、先験的に世界が歪んでゐるのは必定であり、
“本当の世界”なるものはぐにゃぐにゃに歪んでゐる筈である。


例へば魂も心も意識もぐにゃぐにゃに歪んだ世界に対して
少しでも盧舎那るしゃなのやうに遍くその念力が及ぶためには球体が最適ならば、
それらの形相は球体をしてゐて、
さうすれば、世界は四次元多様体から
五次元、六次元、七次元と
次元は最終的には∞次元多様体の世界にも繋がる糸口がある事になると
私は個人的に考へるのだ。
何故ならば、此の世で球体は高次元へと開かれた形相と看做せ、
といふのも球体は∞の法線が存在し、
それは球体が∞次元多様体と接してゐるのではないかと言ふ事を暗示し、
それ故に、魂にも心にも意識にも
∞次元の世界の想定が可能なのではないかと思はれるのだ。
その根拠はそもそも眼球が球体をしてゐて
四次元以上の世界をも見てゐながら、
それを脳が情報処理をして
此の世が恰も四次元多様体であるかのやうに見せてゐると邪推すれば、
“真の世界”なるものは脳により隠されてしまってゐるといふことになる。


――疑へ! 何もかも疑へ! 懐疑的であらんことこそ物自体に出遭へる可能性が高まるといふものだ。さすれば、この歪んだ世界も乙なもので、素直に肯へるというものだ。
積 緋露雪

物書き。

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積 緋露雪

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