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果たして意識には重さがあるのか

仮に意識の生じるのが
Neuronニューロンの発火現象に帰せられるのであれば、
それは熱を発する筈で、
さうならば意識はほんのほんのほんの僅かばかりではあるが、
重さがあると言ふ事になる。
つまり、これが厳格な事実ならば
意識もまた、重力の魔力から遁れられぬ宿命を背負った存在で、
そもそも意識活動は活動する毎に
その重さは変化して行き、
物凄く精密な重さを計量出来る秤があるとするならば、
意識のAuroraオーロラの如き変容を巧く捕捉する事に成功するかもしれぬ。
しかし、もし、意識がEnergyエナジーに帰せられぬ何かであったなら、
意識はNeuronの発火現象では説明出来ぬ何かであって、
意識は、物理化学の現象とは違ふ今の科学で説明出来ぬ代物と言ふ事なので、
須く意識の重さを計量すべきなのだ。
現在の科学技術ではそれは可能な筈だ。


仮に脳活動で重さの変化が見られ、
それを巧く捕捉出来た暁には、
その重さの変容と意識活動の変容が近似で一致してゐると看做せるならば、
人間は科学と言ふものを更に信じ、
現在の”科学教”は更に信者を信心深くし、
科学万能の世が花開くに違ひない。


然し乍ら、計量の結果、仮に脳活動と意識が近似出来ずに
何ら関係性が見られないとなると、
またぞろ、霊魂の、妖怪の、幽霊のお出ましだ。
既存の宗教の信者も増えると思はれ、
科学は躍起になって意識を捕捉するに相応しい理論を生んでは
信者を科学に繋ぎ止めようとする筈なのだ。


人工知能の登場で
記憶に関してはどうやら重さの変化があると看做しても
差し支へなささうであるが、
ヒトの多能性幹細胞から作製する豆粒大の人工脳”脳Organoidオルガノイド”は、
現代の神経科学で最も注目されてゐるものであるが、
仮にその脳Organoidが意識を持つのであれば、
意識の重さの計量はお茶の子さいさいで
早晩、意識と言ふものが何なのか
仮初めにも明らかになるのかもしれぬ。


私の個人的な希望は、意識は、脳活動による重さとの関係性は見られず、
何か現在の科学では説明出来ぬ
不可思議な力が働いてゐると言ふ結果になればいいがと思ってゐる。
といふのも、私は何事も科学的論理に呑み込まれてしまふ
この遊びがない論理づくしのある種の圧迫感のある世相からの少しの解放を夢見てゐて、
科学万能の世がどれほど息苦しい世の中か
ほとほと思ひ知った現在、
妄想することでしかその解消は出来ぬのであるが、
その妄想までが、科学に搦め取られてしまふとなると、
この科学万能の世でほとほと生き疲れた人の逃げ場を、
何処に求めればいいのか歎息する声で満ち溢れる筈で、
科学の影の部分が色濃く闡明する筈である。


地獄の再生を夢見、幽霊が存在してほしい私は、
意識は当然脳活動を通して興るのであるが、
然し乍ら、意識は、科学の論理を超えた何かであってほしいと願ひつつも、
脳活動ですら科学の論理からは自由になれぬ現在、
その代わり、人工知能がBlackブラック boxボックスとして現はれ、
Neuralnetworkニューラルネットワーク等の人工知能の論理的処理能力が
人間の人知を超えてしまってゐる事で生じるBlack box化は
私には皮肉にしか思へず、
人知を超えたものは幽霊等の”紛ひ物”と何処が違ふのか私には解らぬが、
機械学習のAlgorithmアルゴリズムを人間が導き出したものだからといふ理由のみで
人工知能が全的に信用出来るものなのかは疑問の余地が沢山あるが、
それでも人工知能は人の情報処理能力を
圧倒的に上回る事で、
人工知能の活用は多岐に渡り、
その結果、人間社会の貧富の格差は更に酷くなる。
この社会的矛盾を緩和するためにも
幽霊は存在し、魂の居場所は確かに確保されるべきなのだ。

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