自己超越する吾は果たして吾なるや

窮鼠猫を噛むではないが、
巨大な壁が眼前に聳へ立つやうに
難題が吾に降りかかり、
何とかそれを振り払はうと
思ひを巡らし、考へに考へ倦あぐねた末にも
何ら解決の糸口すら見えぬ中、
巨大な壁のやうな難題は吾をせせら笑ひながら
その偉容は相も変はらず巌の如く吾の前に立ちはだかり、
――もう、これまでか。
と、白旗降参しやうかとしたときに、
不意に閃き、
量子力学のトンネル効果の如く
巨大な壁をするりと通り抜けるやうにして、
いとも簡単に難題の巨大な壁を解決してしまふこと屡屡しばしばである。
この恰も神が、或ひは狐が憑依したやうな瞬間の吾は、
吾を超越してゐるのは間違ひなく、
この現象をして「吾思ふ、故に吾あり」と
尚も言ひ切れる馬鹿者は
相当な自信家で、
そんな輩は最も私の嫌ふもの達であるので、
例外として放っておくが、
しかし、トンネル効果にも似たその不思議は
最早、吾の考へ及ばぬこと故に
その閃きは果たせる哉、吾に帰せるかと問へば
既にその閃きは吾を超越してゐる故に
その閃きの淵源は永劫に不明なのである。
唯、吾は永きに亙って呻吟してゐたことでの
その閃きは奇跡の光明にも似て
それまで不気味な黒雲が低く垂れ込めてゐた空の雲間から
陽光が射し込むやうに
突然に閃くものである。
それはなんの予兆もなくやってきて、
Aporiaアポリアを手玉に取り、
その穴を見事に塞いでしまふ。
これをしてcogito,ergo sumは
吾に全的に帰せられるのか
甚だ疑問なのである。


――雷いかづちに打たれたかのやうに閃いた吾は、既に吾を超越し、その吾は、吾であって吾でない、個を超越した、つまり、《吾》を超越した《他》たる「神」、或ひは「狐」が憑依した恍惚状態に近しい何かが確かに此の世に存在する。
積 緋露雪

物書き。

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