悪疫が流行る中、
私は恬然としてゐる。
恥辱塗れの私は恬然としてゐられる筈もないのであるが、
最早恥じ入ることはないと腹を括ったのである。
生か死かが確率で、そして、数字で語られ始めた今、
最早、この悪疫が世界を蔽ふ日もさう遠いことではない。
だから私は恬然としてゐられるのだ。
この卑劣な考への持ち主の私は、
この紊乱した世の中で、
恥は現世の掻き捨てだ、と一面から見れば投げ槍にも見えるこの太太しさは
蚤の心臓故のことなのである。
内心では己の死が怖くて仕方がないにも拘はらず、
虚勢を張って見栄っ張りの私らしく、
天邪鬼に振る舞ってゐるに過ぎぬ。
内心では死までの日を指折り数へてゐる私は、
もう、死んだ気になってゐる。
生きる気はないのか、と吾ながら思はなくもないが、
生にさほど未練のない私は、
俎まないたの鯉ではないが、
後は野となれ山となれとかなり冷静に悪疫の拡散の成り行きを見守ってもゐる。
後は悪疫のVirusヴィールスにこの身が晒されて
どれ程に吾がVirusに太刀打ちできるのか知りたいといふ
何とも自分の体軀を実験台にして
生か死の別れ道をじっくりと味はひ尽くしたい欲求が抑へられないのである。
それでどうなるわけでもないのであるが、
それで生き残れば勿怪もっけの幸ひとして
生を慈しみ生き、
運悪く死してもこれまで、日日、未練なく生き抜いてきた自負がある故に
此の世で遣り残したことはなく、
満足の態で死ねる。
悪疫の広がりは、何も今に始まったことではなく、
人類史を紐解けば、
悪疫との戦いに明け暮れ、
それに対して生き残ってきたものの子孫が私であり、
ここでお陀仏しても何の未練もないのである。
ただ、愛するものには是非生き残って欲しい、
それだけが気懸かりでしかないのである。