ぼんやりとした不安の中で

死を目の前に突き付けられてから
来し方行く末に思ひを馳せたところで
もう手遅れなのである。
日常に死が厳然と存在し、
絶えず死の誘惑に駆られながらも
それを撥ね除け
やうやっと生に留まる日常こそ
まともな生を生きてゐると言へ、
それでこそ現存在は生を精一杯謳歌出来る。
尻に火が付いてから恐怖に戦くみっともない生は
生を愚弄してゐて、
その自覚のない他を見ると反吐が出る。
死の将軍が天を馬に乗って駆るとき、
現存在のそれまでの生き方が問はれるのであり、
何時もぼんやりとした不安の中で
生きてゐる生こそ輝きを放ち、
それこそがまともな現存在の姿なのだ。


この悪疫が蔓延する瀬戸際で
右往左往するこすっからい他の群れを見ると


――あなた方は今までこれっぽっちも死と向き合ったことがなかったのか。


と、その胸座むなぐらを摑んで一人ひとり問い糾し、
糾弾したい欲求に駆られる。
生がそんなに柔なものではないことは
誰もが知ってゐる筈なのだが、
この期に及んで死の恐怖に戦く輩は、
捨て置いていい代物なのだ。
事、此処に至ってやうやっと生のありがたみを知る馬鹿は
仮令、この紊乱の世を生き延びたとしても
死ぬまで死のありがたみは解る筈もなく、
裏返せば生のありがたみを知る由もない。


バタバタと人が斃れる中、
独り煙草を吹かして
存在に誑かされながら、
おれは存在の嫌らしさに疲弊しつつ、
さうして悪疫に曝露されても尚、
孤独に底知れぬ存在といふ化け物に対峙する。
それで一つの光明が見えれば僥倖と言へ、
山頭火ではないが、
「分け入っても分け入っても青い山」さながら、
存在の何処まで行っても暗い闇の中を
分け入ってその正体を死んでも尚追ひ続け、
遂にはその正体を暴く至福の時を迎へられれば本望だ。
積 緋露雪

物書き。

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