「このなんとでも言へる世界が嫌だ」と歌ふ人がゐれば

RADWIMPSのAlbum『アルトコロニーの定理』の
Last number「37458」で
――このなんとでも言へる世界が嫌だ
と、さりげなく歌へる野田洋次郎に羨望を覚えつつ、
私は世界に対して憎悪しか感じられぬその浅ましさに
私のちっぽけさを感じずにはゐられぬ。
だが、そんなちっぽけな私だからこそ表現出来るものがある筈で
メラメラと憎悪、若しくは憤怒の炎を無双の世界に対して燃やす私は
然し乍ら、そこには吾に対する奢りが少なからず隠されてゐて
それは『私は世界に対峙出来る存在だ』と心の何処かで思ってゐるといふ
なんといふうつけものであることか!


――ちぇっ。
と、自分に対して舌打ちをし、
私はさうして自分を棄てる。
これは自棄のやんぱちでしかないが、
自分を棄てることで
似而非人身御供の儀式をしてゐるのだ。
私の考へ方は現代にはまだ、馴染んでをらず、
世界観も宗教観も宇宙観も死生観も現代人にはほど遠く
古代人に近しいのだ。
正直、現代の科学的成果に対して理屈では解りつつも
心ではちっとも納得がゆかぬのだ。
これは致命的で、
私は日日、現代から零れ落ちる落伍者でしかない。
だからといって、科学を崇めてゐるかといへば
そんなことはちっともなくて
むしろ、科学を蔑んでゐる私がゐる。
それは何故かといへば
科学的なるものは全て私の心に響かぬのだ。
その一点でのみ、
私は科学的なるものを心より蔑むのだ。
さうして、それを『善し』としてゐる私がゐて、
科学的なる世界観、宇宙観、死生観、そして宗教観全てを唾棄する私は
ちっぽけな私故に
古代的なるものに憧れ、
その機微を巧く表現出来る
言葉を探してゐる。
それは現実逃避ともいへるが
『それで善し』とする私は
ニーチェの如く反時代的でありたい。
積 緋露雪

物書き。

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