視覚がものいふ世界の把捉の仕方において
当然、光が尊ばれるのはいふに及ばぬが、
だからといって例へば闇の中で光に希望を見てしまふ
この条件反射的なる思考法は誤謬である。
闇の中においては仮令、光が差し込まふが
光に背を向けて闇の奥へと突き進むのが正しい姿勢である。
それは、闇の中に光が差し込むことで、
それまで闇の中でぢっと黙考してきたことが断絶し、
いとも簡単にそれが棄てられてしまふのであるが、
無心に光を信ずるこの条件反射的な思考法が
正しいと保証するものが何にもないことに
少し立ち止まって考へれば、
誰もが気付く筈である。
それにも拘はらず光=希望と看做す条件反射はなくならぬどころか、
益益堅牢な記号として此の世に幅を利かせてゐるが、
この条件反射に従順に反応してしまふことは
泰然たる自己肯定に安住する世界が仕掛けた罠であることに
やがて自縄自縛に陥る二進も三進もゆかぬ吾の状態を見れば、
火を見るよりも明らかである。
白日の下では吾は逃げ場を失ひStripperストリッパーよろしく、
吾を晒さずば吾の存在証明足らざるを得ぬ光の世界の残酷さに
吾はまもなく打ちのめされる。
さうして吾は内部の闇に閉ぢ籠もるのであるが、
その居心地の悪さは非情である。
ならば、初めから光に釣られることなく
闇に留まるべきなのだ。
さうして黙考に耽溺し、
残酷な光から逃れながら、
懐深い闇の中で、
自由に溺れる悦楽を満喫すべきなのだ。
さうして吾は狡猾な光の罠にかかることなく、
分け入っても分け入っても闇の中で、
自己解放する醜悪なる頽廃に
身を委ねるのも乙なものなのである。