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小説 祇園精舎の鐘の声 三の篇

 然し乍ら、倉井大輔の内部に棲む異形の吾どもが奢ってゐるとは思えず、敢へて言へば奢ってゐるのはどちらかといふと倉井大輔自身の方ではないかと思はざるを得ぬのである。それは、言はずもがなであるが、倉井大輔が此の世に存在してゐること自体に原因があったのであった。此の世に存在することは、そもそも悪であると倉井大輔は考へてゐた。これは倉井大輔が物心ついたときには既に倉井大輔の心に芽生えてゐた感覚で、まだ幼くてそれを名指せは出来ぬ倉井大輔は、しかし、世界に屹立する度に心にもの悲しくも渺渺とした隙間風が吹き荒び、絶えず倉井大輔は憂愁に包まれ、何かちょっとのことでも泣き出す始末なのである。幼い倉井大輔には何故泣いてしまふのかその理由は解らず、只管己の存在に我慢することを強ひられたのであった。幼き日日の倉井大輔は泣くことでやうやっと心の平衡が保たれてゐたのである。さうだからこそ、倉井大輔は内向的な青年へと成長した。絶えず己の心の動きを観察してゐなければ、一時もその場にゐられぬ羞恥に苛まれながら、倉井大輔は存在に対して我慢してゐたのであった。
 また、倉井大輔は倉井大輔を囲繞する時空間が倉井大輔のところだけきつく締め付けてゐるやうな感覚を絶えず持ち続けてゐて、実際、倉井大輔はいつも息苦しさを催してゐたのである。これは世界の倉井大輔に対する嫌がらせにしか思へず、世界からの疎外感は倉井大輔を益益、内向的な青年へと駆り立て、その孤独感は筆舌尽くし難い屈辱を倉井大輔に齎すばかりなのであった。それが何に由来するのか言葉で名指せるために倉井大輔は乱読したのである。文芸書や哲学書はもちろんのこと、数学や物理学などの本まで手を伸ばして、とにかく手当たり次第本を読んだのであった。その中で、倉井大輔の心を揺り動かしたのは『平家物語』を初めとする古典の数数、理論物理学の専門書とプログラミングの、特にアルゴリズムの本と数学書、哲学書とフョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの巨大書の数数、そして、武田泰淳と埴谷雄高、小林秀雄の書なのである。就中、最も心が揺れ動かされたのは埴谷雄高の『死靈しれい』なのであった。『死靈』の主人公の三輪與志に心惹かれつつも倉井大輔が瞠目したのは黙狂の黒川健吉なのであった。それは世界からの疎外感に加へて、時空間すら意識せずにはをれぬ息苦しさに苛まれてゐた倉井大輔は、存在の弾劾を行ふ黒川健吉のその思索の膂力の強さにある種の憧れを抱いたのかもしれぬ。


三の篇終はり

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