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小説 祇園精舎の鐘の声 四の篇

ところが、倉井大輔には埴谷雄高の『死靈』では全く物足りなかったのもまた、事実であった。何が物足りなかったかといふと、埴谷雄高の思索のどれもが『死靈』では詰めが甘かったのである。少なくとも倉井大輔にはさう思はれた。三輪與志の「自同律の不快」にしても、三輪高志の「夢魔の世界」にしても、「愁ひの王」にしても、黒川健吉の「最後の審判」にしても、狂言回し的な存在の首猛夫のその存在自体のどれもが、例へば数学で喩へるとよくて高校数学で止まってゐるのであった。高校数学でかは記憶が曖昧で忘れてしまったが、虚数が登場した時点で止まってしまってゐるのである。数学の面白さはそこから先がずっと面白いもので、虚数が出たならば少なくともオイラーの公式までは思索の触手を伸ばして欲しかったものである。それ故、『死靈』の「虚体」はペラペラに薄っぺらいのであった。少なくとも倉井大輔にはさう思はれた。
だから、倉井大輔は乱読したのである。ペラペラの虚体では倉井大輔の苦悩は全く解きほぐせなかったのであった。とはいえ、数学や物理学にのめり込んでゆく現代哲学でも倉井大輔の苦悩はちっとも晴れなかった。それならば哲学書を読むよりも数学書や物理学書を読んだ方がずっとましで、だから、倉井大輔は数学と理論理学の書物を熱中して読んだのである。それで解ったことといへば、いづれも宗教には及ばないといふことであった。だからといって、宗教に倉井大輔はのめり込むには抵抗があったが、宗教書を読むのは楽しかったのは事実であった。何故、哲学や数学、物理学が宗教に及ばないかといふと、盲信したものは最早何を言はふが聞く耳を持たず、尚、悪いことに哲学も数学も物理学も疑問、それを言ひ換えれば懐疑から出発してゐる時点で宗教には永劫に及ばないのは火を見るよりも明らかであった。さらにいえば、哲学も数学も物理学も宗教的世界観を証明するものでなければ、それは明らかな誤謬なのである。倉井大輔にはさう思われた。
その間隙を突いたのは古典の作品の数数であったのである。少なくとも百年は時代の荒波に揉まれて生き残った作品には「普遍的な何か」が秘められてゐるに違ひない。さうでなければ、永い年月の間世代を超えて読み継がれる筈はなかった。だから、古典作品のどれもが面白いのである。倉井大輔にとって就中、『平家物語』がすこぶる面白かったのであったのであった。
しかし、倉井大輔の苦悩は深まりこそすれ、解きほぐされ、濃い霧が晴れることはなかった。視界不良。これが現在の倉井大輔の立ち位置である。


四の編終はり
積 緋露雪

物書き。

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